10年以上にわたり刊行をし続けた「月刊 日本読書クラブ」の人気コーナー「本を読むことは、なぜ素晴しいのでしょうか」からの採録、第14回目。
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● ヘレン・ケラーに比べて自分は
ヘレン・ケラーは、ナイチンゲール、エジソンとならんで、数多い伝記のなかでも、もっとも多くの子どもたちに親しまれ愛されている人物です。しかも、その愛されかたは、ヘレン・ケラーが1968年に88歳で亡くなってから現在まで、年ごとに深まってきています。
ヘレン・ケラーの伝記が、これほどまで読まれつづけているのは、なぜか。それを子どもたち(小学校1〜6年生)の読書感想文にひろってみると、大きく、つぎの三つを、あげることができます。
まず第1は、目が見えない、耳が聞こえない、口もきけないという三重苦にうちかって生きた生涯が、そして、その心の強さが、すべての子どもたちに 「生きる」 ことへの勇気を与えるからです。
第2は、ヘレンとともに苦しみ、ともに泣き、ともによろこんだサリバン先生の愛。自分の生涯をへレンのためにささげた、その愛の大きさが、子どもたちの心をうつからです。
第3は、「からだの不自由を悲しむことはありません。人間にいちばんたいせつなものは心です」 と訴えながら、からだの不自由な人たちのしあわせのために生きたへレンの生涯の崇高さが、清らかな光の粒となって、子どもたちの心にしみ入るからです。
しかし、ヘレン・ケラーの伝記が子どもたちに与えるものは、たんに、うえの3つのことについての感動に、とどまってはいません。むしろ、子どもたちに与える最大のものは 「ヘレン・ケラーとくらべて自分は……」 と、自分で自分の考えかた、生きかたに問いかけさせることです。
「これまで、自分のことばかり考えてきた、わたし自身が、とってもはずかしい」 「わたしも目が悪く、みんなから、へんなあだなで呼ばれて悲しかったことがありました。しかし、ヘレンの苦しみにくらべると問題になりません」 「私は、2年間の入院生活で、私だけが、どうしてこんなに苦しい思いをするのかと考え、もう死んだほうがましだと思ったこともありましたが、これが、どんなに弱いことだったかに気がつきました」 「いままで叱られたり自分の思いどおりにならなかったりしたときは、すぐ、私は不幸な人間だと思ったが、これが、どんなにわがままだったか、よくわかった」。
● 自分を反省して生き方を考える
子どもたちは、このように、ヘレン・ケラーを鏡にして自分を見つめなおし、自己中心だった自分、弱かった自分を反省しています。そして、その反省をふみ台にして 「もっと、人のことを思いやらなければいけない」 「もっと、自分自身とたたかわなければいけない」 「もっと、しんぼう強く、毎日を、せいいっぱい生きなければならない」 「自分を見るときも、人を見るときも、外見よりも、心を深く見つめていかなければいけない」 「物の豊かさの幸福よりも、心の豊かさの幸福をこそ、たいせつにしていかなければいけない」 などと、これからの自分の生きかたを、とらえなおしています。
ヘレン・ケラーの伝記にかぎらず、強く、美しく、夢多く、そして人間らしく生きた人の伝記を読むということは、じつは、これがすばらしいのです。
もちろん、童話や民話や小説を読んでも 「生きる」 ことを考えさせます。また、自分を問いつめさせます。
ところが、伝記は、1冊の本のなかで演じてみせる人間が、目に見える偉業、歴史に残る業績を残して 「現実に生きてきた人間」 だけに、その人と自分とをくらべさせるもの、自分をふりかえらせるものが、童話や小説などの場合よりも、リアルなのです。
伝記は、人間の生きかた、とくに、自分はいかに生きるべきかを多様に考えさせます。それは、とうぜんのことながら、10人の伝記を読めば10の生きかたを具体的に学ぶことができるからです。
多くの子どもたちが、自分の人生を自分の意志で選択することを忘れている時代……伝記は、いまこそ、もっと読まれるべきではないでしょうか.