10年以上にわたり刊行をし続けた「月刊 日本読書クラブ」の人気コーナー「本を読むことは、なぜ素晴しいのでしょうか」からの採録、第15回目。
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「モチモチの木」 (斎藤隆介・作、滝平二郎・絵、岩崎書店刊) のあらすじは次の通りです。
峠の猟師小屋に、ふたりっきりで住んでいる、やさしい、じさまと、甘えんぼうの豆太。豆太は、小屋の前の、おばけのように見えるモチモチの木がこわくて、夜、ひとりで、しょんべんにもいけない弱虫です。ところが、ある夜、じさまが腹痛をおこすと、豆太は、こわさをこらえて、山のふもとの医者のもとへ。そして、医者をつれて小屋へもどってくると、モチモチの木に、火が灯っているのを見ます。それは、ほんとうの勇気のある人間だけが見ることのできる、火でした。
● ほんとうの強さ、やさしさとは何か
1971年に出版され、人間のやさしさを語りかける絵本としていまも、4、5歳から小学校低学年の子どもたちに読みつがれている 「モチモチの木」。この本を読んでの感想文は、多くが 「弱虫だけど勇気のある豆太君」 「まめた、ほんとうに、よく、やったね」 というように、主人公の豆太に語りかけるかたちで、つづられています。
それは、子どもたちが、5歳にもなって、ねしょんべんする豆太に、また、夜は、じさまについていってもらわないと、しょんべんにもいけない、おくびょうな豆太に、自分の分身のような親しみを感じるからでしょう。
さて、この物語を読んだ子どもたちが、口をそろえてたたえているのは、弱虫だったはずの豆大の、思いがけない勇気です。弱虫の豆太が、腹痛のじさまを助けるために 「イシャサマヲ、ヨバナクッチャ!」 と、家をとびだし、こわいのをがまんして、泣き泣き、山のふもとの医者のところへ走った、美しい感動的な勇気です。
子どもたちは 「豆太、よくがんばったね」 「じさまのことが、しんぱいで、ゆうきの子に、へんしんしたんだね」 「豆太だって、やれば、できるんだよね」 と、語りかけています。
しかし、これは、たんに、夜道を泣き泣き走った豆太のすがたに感激しているだけではありません。1年生、2年生の子どもでも、もっと、すばらしいことに気がついています。
それは、この物語のなかで、じさまが豆太に話して聞かせている 「にんげん、やさしささえあれば、やらなきゃならねえことは、きっと、やるもんだ」 ということばに秘められた、人間のやさしさの、たいせつさです。
● 感銘が肥料となって子どもを育てる
子どもたちは、豆太に勇気をださせたのは 「豆大の、じさまのことを思う心のやさしさだ」 ということを、しっかりつかみとっています。そして 「豆大のやさしさが、モチモチの木に、火をつけたんだよね」 「くらいみちを、なきなき、はしったとき、なみだに心がはいっていって、空にのぼっていったんだよね」 「あの火は、つよいだけでは、つかなかったんだよね」 と言っています。子どもたちは、ほんとうの勇気というものは、心のやさしさがあってこそ、はじめてだせるのだということを、深く感じとっているのです。
子どもたちは、じさまの、やさしさにも、心をうたれています。それも、夜、豆太に、「シー」 と、しょんべんさせてやる、やさしさに、うたれているだけではありません。豆太に 「じぶんで、じぶんを、よわむしと、おもうな」 と言って聞かせる、豆太への深い愛から生まれたやさしさにこそ、大きく心を動かしています。
「ほんとうは、つよい心をもった、じさまの大きなやさしさが、あったからこそ、豆大の心にも、あんな、つよいやさしさが、そだったんだね」
これは、3年生の子どもの感想文に記されていたことばです。「つよいやさしさ」 とは、へんなことばのようですが、すばらしい、とらえかたです。
「豆太君、これからも、がんばってね」 「豆太くん、モチモチの木のひをみたときの、ゆうきで、これからも、じさまを、たいせつにしてあげてね」 「ぼくも、モチモチの木のひを、みることができるように、がんばるからね」 「ぼくの、こころにも、やさしい火のはなを、さかせてみせるからね」 などと、感想文の終わりをむすんでいる子どもたち。
子どもたちは、ながく豆大のことを忘れないでしょう。豆大の愛と勇気への感銘を、いつまでも忘れないでしょう。それは 「モチモチの木」 が 「人間に、やさしささえあれば」 をえがいた、まぎれもない文学だからです。
山奥の木は、地に落ちた1枚1枚の葉を肥料にして生長していきます。心になにかを残す1冊1冊の本は、人間にとっては、その、地に落ちた1枚の葉にたとえてもよいのではないでしょうか。
なお、この絵本は「えほんナビ」のホームページでも、詳しく紹介している。
http://www.ehonnavi.net/ehon00.asp?no=139