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ビルマの竪琴

10年以上にわたり刊行をし続けた「月刊 日本読書クラブ」の人気コーナー「本を読むことは、なぜ素晴しいのでしょうか」からの採録、第19回目。

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「ビルマの竪琴」(竹山道雄作) のあらすじは、次の通りです。
太平洋戦争が日本の敗戦に終わったビルマに、歌う隊とよばれる日本軍の1部隊があり、その隊に竪琴のうまい水島という上等兵がいました。水島は隊長の命令で、敗戦を信じないでまだ戦おうとする日本兵たちの説得にでました。ところが、水島は、それっきり隊へもどってきませんでした。あちこちに打ち捨てられている日本兵の死骸。はじめは、自分だけではどうにもならないと思いましたが、イギリス兵が、その敵の死骸をていねいにほうむっているのを見て、自分はビルマにとどまって、日本兵の霊をなぐさめることを決心したのです。

● 自分からけわしい道を選んだ強さ
太平洋戦争後まもなくの昭和23年に刊行され、戦争文学の一つの金字塔をうちたてて、以来何十年も小・中学生たちに読みつがれている 「ビルマの竪琴」。この名作にふれた小学校3〜6年生の子どもたちは、物語の主人公である水島上等兵の生きかたに 「しょうがい、わすれることのない感動」 「ことばではあらわせない大きな感動」 を受けています。
それは 「この悲惨な戦争のために生きたいと願いながらも死んでいった、同胞の遺骨をうめ、とむらい、そして、その魂の休む場所をつくってあげなくては、この国を去ることはできない」 と決心して、ただ一人、僧となってビルマの地に残った水島上等兵の、崇高な人道主義への感動です。
「水島上等兵は、夢にまで見たなつかしい祖国日本も、会いたいと願いつづけてきた家族も、捨てたのです。自分の夢や欲望を、こんなにも強くおさえることができる人がいることに、ぼくは、おどろきました」 「人につくすために自分の一生をかえてしまった水島。そのやさしい心、ふかい心を実行にうつすためには、きっと、自分の心とたたかったのだ」 「自分の信念をつらぬきとおそうとした水島は、祖国日本へ帰るか、ビルマにふみとどまるか、ふたつのわかれ道に立ったとき、平地をえらばず、坂道をえらんだのです。わざわざ、けわしい道をえらんだのです。わたしは、そんな水島上等兵の真心に、いくども泣かされました」 「自分から苦しい道をえらんだ水島上等兵。わたしは、そんけいの気持でいっぱいになり、人間の生きかたには、これなにも、すばらしい生きかたもあるのだと教えられました」 「人間のほんとうの強さとは、戦争などに勝つことではなく、自分を人のために投げだせる愛だということが、よくわかりました」 。
まだ小学5、6年生だというのに、子どもたちは口をそろえて、こんな感想をもらしています。そして、水島の「ほんとうの、勇気ある心とおこない」 を鏡にして歩む子どもが 「学校のそうじのときなど、すこしでも楽なことを選ぼうとしていた自分が、とてもはずかしくなりました」 「いまの世の中は、だれもが、人をおしのけて自分だけが幸せになろうとしている。わたしも、そうだった。水島上等兵の尊いおこないとは、とてもひかくできない」 「頭では、こうしなければとわかっていても、いつも、ただ思うだけで実行しなかったわたしが、はずかしい」 などと、自分を反省しています。
作品から受けた感動が、ものごとの真実を見つめさせ、その真実を見つめる心が、自分で自分に問いかけるものへと、はねかえっているのであり、ここに、すぐれた作品にふれることへの最大の意味があります。

● 大きな火となっていく戦争への悲しみ
子どもたちは、この作品から、戦争についても考えを深めています。とくに、この作品には、戦場で互いににらみあう敵と味方が、にくしみを忘れて 「はにゅうの宿」 を合唱しあう劇的な場面がえがかれていることから、「ほんとうは、にくくもない人間どうし、ほんとうは仲よくしたい人間どうしが、戦争というだけで、殺しあわなければならないなんて、こんな、おろかなことはない」 ということについて、深く感じとっています。そして、死がいが、棒切れを投げ捨てたように山や野に散らばっているようすを目にうかべながら、戦争のむごさ、悲しさをすこしでも知ることができたことを、ほんとうによかったと語っています。
「勝っても負けても、多くのとうとい生命を奪う戦争は、地球上の最大の悪だ」 ということは、たった1編の文学作品からでも、子どもたちに伝わるのです。もちろん、その伝わりかたは、まだ強烈ではないでしょう。しかし、水島上等兵への感動とひとつになって心のかたすみに残った戦争への悲しみは、やがて、いくつかの戦争文学にふれていくうちに、大きなものへとふくれあがっていきます。ひとつひとつの作品が、子どもの心にひとつひとつの小さな火をともし、それが、いつかは、大きな火となって心をもやさせる。これが、読書のすばらしさです。

投稿日:2006年04月21日(金) 09:10

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)