1976年8月末、離れ業ともいえる手法で倒産をまぬがれたことを記した。しかし、それからしばらくは毎月数百万円の手形決済が待っているし、J・チェーンの売り上げがなくなってしまったわけだから、他の方法で売り上げをあげなくてはならない。それでも、これまでのようにJ・チェーンに気兼ねをする必要がなくなり、精神的にかなり開放された気分になったことは事実である。J・チェーンと独占販売に近い形で契約して以来、本部のいうことには逆らえないという見えないプレッシャーを受けながら行動せざるを得なかったからだ。そこで、これまでに独自で集めた販売会社や、知人の紹介なども含め、いろいろなタイプの会社へアプローチしていった。
当時、「画報ルート」という業界があった。「世界画報」とか「国際画報」といったグラフ誌を販売してきたことから名づけられたルートなのだろう。国際情報社、世界文化社、研秀出版、山田書院等のメーカーが競い合って、写真をふんだんに取り入れた料理、旅行、歴史、文学、音楽、子ども向などのジャンルの18巻から24巻の全集を刊行していた。主に、全国販売協力会という会に所属している40社ほどの販売会社が営業に当たっていることを耳にした。そうした販売会社に所属する1000名ものセールスマンが職場や家庭などを訪問し、全巻予約契約をとり毎月配本していく仕組みだという。このルートは当社の「ポケット絵本」を販売するのにふさわしいと、熱心に勧めてくれる人がいた。よく話を聞いてみると、メーカーから無料でもらった1巻目の代金がセールス手当となるという。セールスマンは全巻予約の契約カードを販売会社にわたす。販売会社は以後の配本を引き受けることで会社経営が成り立つという仕組みなのだ。ということは、メーカーは1巻目をタダで販売会社へ納品しなくてはならないことになる。巻数が多ければ、最終的に利益が出る可能性はあるのだろうが、当社の「ポケット絵本」のように、10回で終わってしまうのではリスクが大きすぎることがわかった。全巻一括という方法もあるというので、実際にセールスにたずさわる人に面談してみると、版型の大きなシリーズに慣れた人たちばかりなので、期待はできないという。たしかに、いくつかの販売会社と口座を開いたが、手間がかかる割に売り上げは微々たるものだった。
新聞にチラシを折り込んで予約をとる「頒布会」をやっている業者、J・チェーンと同じようなフランチャイズを展開している会社にもアプローチしたが、J・チェーンへの卸値の半分くらいならやりましょうという会社ばかりで、それでは大赤字、まったくビジネスにならない。化粧品会社、保険のセールスレディ、健康食品業界、いろいろ紹介してくれる人はいたが、どれも実を結ばない。
考えぬいた末、8月末に奇跡的な成果を得られた幼稚園納入業者で、すでに取引のある首都圏を避け、それ以外の地区を攻めてみようと思いついた。今回も、電話帳の登場である。今もそうだと思うが、規模の大きな電話局には全国の電話帳が設置してあり、無料で閲覧出来た。勘を働かせながら、片端から取り扱ってもらえそうな会社を書き写し、事務所にもどって電話をしまくるのである。ちょっとでも可能性がありそうな会社には見本とパンフレットを同封して送り、後日改めて電話をする。このようにして、東海から関西、中国道にかけて出会った会社にアポイントをとり、1週間ほどかけて訪問してみた。多少の成果はあったが、結果的に出張旅費をまかなう程度のものでしかなかった。前回は、先方からの取引の要請だったのに対し、今回は当方の売り込みである。立場が逆になると、こんなにも難しいものかということを改めて実感した。