私は1976年当時、板橋区にある高島平団地という新興高層団地の11階に住んでいた。賃貸の2DKだった。独立した年に生まれた長男と、いずみ書房を興した年に生まれた次男と、年子の子どもがいた。会社がうまくいっていたなら、社会思想社時代に知り合い社内結婚した妻・国子も退社し、いずみ書房でいっしょに仕事をする予定だった。しかし、私の収入はほとんど期待できない上、持ち出しするほどの体たらくである。二人の息子は産休後すぐに、「ベビールーム」という生後3ヶ月から7ヶ月までの乳児のための保育施設へ、そして8ヶ月目に公立保育園へ入れてもらえた。新興団地だったためにこういう施設が充実していたことは幸いだった。わが家計は、妻の収入に頼らざるを得ず、ぎりぎりの生活だったことを思い出す。
通常土曜日は、勤務する会社が休みのため妻はいずみ書房へ出かけて、経理や事務の仕事をすることが多かったが、この日はたまたま自宅にいた。子どもがいる住居というのは何かしら雰囲気でわかるようで、セールスマンがひんぱんに訪問してきた。たいていの場合、妻はうまくかわしているのだが、この日はまったく違ったらしい。声をはずませて会社にいる私へ電話してきた。
「セールスの上手な人っているのね。大型の絵本のセールスみたいだったけど、こちらの警戒感をまったく感じさせないの。日に焼けて真っ黒な顔をくしゃくしゃにしてほほ笑みながら、ぐいぐいひきつける話し方も一流。ポケット絵本の話をしたら、すごく興味をもってくれて、あとで事務所へ顔をだすって」という。
これが、W氏とのはじめての出会いであった。先に述べた「画報ルート」という業界に20年以上も所属し、現在は知人に請われて、ある児童書出版社のセールス・マネージャー兼セールスマンをやっている。だが、商品にいまひとつの魅力が感じられず、苦戦続きの毎日だという。私は、さっそく「ポケット絵本」を見せ、英国レディバード絵本をお手本にコンパクト判にした理由、原作・原話の内容をしっかり記述したこと、絵のタイプも写実的な絵、デフォルメした絵、コミカルな絵といったようにお話の内容にあわせて描き分けたり、油絵、水彩、クレヨン、版画、ポリマカラーという新画材、カラーインクなどさまざまな画材を使用したこと、親は大変かもしれないけれど、子どもたちに毎晩お話を読んであげてほしいことをかいつまんで話した。黙って聞いていたW氏は、説明を終えるとなぜか大笑い。理由を聞くと、こんな答えが返ってきた。
「私が今セールスしてる絵本というのは、新聞紙の半分ほどの大きな絵本なんですよ。この絵本はその10分の1ですね。これはラクだ。絵本を上着のポケットに入れて、手ぶらで仕事ができますもん。これは愉快、ちょっとそのへんで営業させてください。結果はすぐにでますから」。こういうと、W氏は事務所を飛び出していった。