樫村社長に200万円を受領したことを報告し、月末までに残りいくら用意すればよいかとたずねると、あと500万円はほしいという。「ポケット絵本シリーズ」は、J・チェーン分として納品した以外に、いずみ書房の奥付分を各集3000セットほど制作していた。これは、以前、保育園を中心に予約をとった人たち用にとっておいた分であった。J・チェーンと取引を開始したころからは、新たな開拓をほとんどしなかった。というのも、私が開拓した園へJ・チェーンの加盟店が訪れることがよくあり、すでに入っているのを知った加盟店が本部に苦情をいうことが続いたからだ。また、5月に全巻完成したことを知った幼稚園への納入業者のいくつかは、当社と直接取引したいといってきたが、J・チェーンの加盟店に迷惑をかけてはいけないと、この申し出もすべてことわってきた。
しかし、もはやそんな悠長なことをいっている場合ではない。会社がなくなるかどうかの瀬戸際なのだから。待機中の2、3日間に、ある程度の打ち合わせを済ませておいた幼稚園納入業者のいくつかを訪問し、納品時に手形をもらえるなら取引しましょうと、強気に交渉した。3社ばかりが当方の提案に応じてくれ、それぞれの手形を入手したのは1976年8月29日のことだった。この手形をすぐに銀行に持込んで割引してもらい、まさにすべこみセーフ、破綻をまぬがれたのである。