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80万冊という怖いほどの契約

業界に詳しい人に聞いてみると、雑貨を取扱う会社というのは、定価の2掛、3掛が常識だから、返品条件はあるものの70%前後で取次店に納入する書籍とはまったく違う世界、しっかりソロバンをはじいて見積りを出さないと相手にされないとおどかされた。幸い、樫村社長は、製薬会社に勤務していたころの仕事は資材部で、その責任者を長くやってきた。資材部というのは、薬の効能書やパッケージなどの印刷物を制作する部署で、いかに安くて質の良いものを効率的に入手するか、こういうことを四六時中考えながら発注することを主な業務にしてきたという。前職当時からつきあいのあったB社という印刷業者にかけあい、もうこれ以上は下げられないというシビアな見積りを出してもらい、再度J・チェーンのY社長をたずねた。

「まあまあの見積りが出ましたね。ただ、ひとつ条件があります。各集1万セットを2万セットに増やしますから、単価を30%下げてください。それが可能なら契約しましょう」と、即断するのだ。それを聞いてわれわれは、すぐにB社を訪ね、なんとかJ・チェーンの条件に合う見積りをもらえないかと交渉した。2、3日後にB社から、社運をかけてやりましょうという返事をもらうことができた。熱意が通じたのだ。こうして、毎月1集分2万セット・8万冊、10ヶ月で完成、総冊数80万冊という契約を、J・チェーンの仕入れ部門を担当する系列会社、J総業と交わすことができた。当社の利益はすずめの涙ほどしかなかったが、全巻を完成させることができれば、まだ数百人ではあったが、私を信用して全巻予約してくれた人たちにウソをつかずに済むということ、このことが私にはいちばん嬉しかった。もちろん、うまく事が進めばというのが大前提ではあったが・・・。

投稿日:2005年06月16日(木) 09:45

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)