パチンコの景品というアイディアは良かったものの、長続きはしなかった。東京や大阪のような大都市の一部で評判になったものの、絵本を景品にするというユニークな発想はあまり現場では理解されず、地方では見向きもされなかったという。景品を取り扱う商社の担当者に泣きつかれて、買い取りの約束ではあったが、納品数の3分の2以上の返品を受けざるを得なかった。もう、お先真っ暗という状況に逆戻りしてしまったのである。
手形決済のための資金不足に頭を悩ませていたその頃、社会思想社時代にいっしょに仕事をしたことのあるフリー・ライターのT君が、当社の小さな事務所を訪ねてきてくれた。会社の窮状を知った彼は「今非常に伸びているJ・チェーンという会社があってね、取材した記事を週刊誌に載せたところ大評判になった。社長も喜んでくれて、来週会うことになっている。雑貨を中心に扱う会社だから、興味を持ってくれるかわからないけど、この絵本を見せてみようか」という。私は、ダメモトでいいからと、彼に第1集、第2集と、完成したばかりの第3集の見本を持っていってもらうことにした。
それから1ヶ月以上がたち、忘れかけていた頃、T君から電話があった。「あの話、もしかしたらうまくいくかもしれない。社長に会ったときは全然関心がないみたいだったけれど、あの絵本を自宅に持ち帰って奥さんに見せたんだそうだ。奥さんが子どもに読み聞かせたところ、子どもの反応がよくて、もうどこへ行くにも手放さないほどのお気に入りなんだって。J社から直接電話が入るはずだから、うまくやってよ」と。
ほどなく、茅場町にあったJ社のオフィスに樫村社長とともに出向き、Y社長と会うことになる。驚いたことにJ社は、会社を創業してまだ4年足らずなのに、加盟店が全国に1000店以上もあり、売り上げも100億をゆうに越えているという。Y社長の年齢は当時31歳、私と同じ年の生まれなのだ。
「ポケット絵本シリーズの内容は気に入りました。至急1万セットの見積書を提出してください。取扱うかどうかは、見積り次第です」。社長のスケジュールは分刻みのようだった。われわれと会っている時間はわずか15分程度、これだけいうと、次のアポの人と打ち合わせに入っている。伸びている会社の社長というのは時間の使い方が半端じゃないと思うと同時に、頭の回転がすばらしく速い人だなという印象を持った。