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キャメロン・ハイランド

私の趣味は何かといわれれば、迷うことなく「作曲」と答える。作曲といっても、私は専門の音楽教育をまったく受けたことがなく、自己流でおぼえたギターをかきならしながら、メロディづくりをするレベルである。20代のはじめの頃は、結構歌づくりにはまりこみ、高校時代の友人K君らと作詞・作曲のコンビを組んで100曲以上もこしらえ、この道で飯が食えたらいいなと夢想したこともあった。しかし、編集の仕事に携わりだしたころから、2足のわらじをはけるほど本作りの世界は甘くはないと自覚したこともあり、曲作りからできるだけ避けるようにしてきた。

それが、昨年の9月、いずみ書房を創業時からささえ、30年もの間、発展の原動力ともいえるほど活躍してくれた愛妻・国子が亡くなってしまった。これを機に、若い頃の夢でもあった作曲にもう一度挑戦する気になった。目標を立てれば、取り組みもより具体的になるため、亡き妻の一周忌にむけて、追悼の小冊子の制作と付属のCDアルバムをこしらえる、とみんなに宣言した。35年前にコンビを組んで数曲をこしらえたことがある兄・猛夫が、まもなくいくつかの詞をメールにして送ってくれた。それらを片端から作曲していった。不思議なことにあまり苦労することなくメロディが次々と浮かんでくるのである。まるで亡き妻が後押ししてくれるかのように。

昨年の暮れのことだったろうか。「キャメロン高原讃歌」というのをこしらえたと兄からメールがきた。

キャメロンMAPキャメロン高原というのはマレーシアの中央部にあり、首都クアラルンプールから車で約4時間、標高1500〜1800mの高原(ハイランド)リゾート地である。赤道直下に近いところなのに、年間を通して10度から24度程度と涼しく、作家の松本清張はこの地を「マレーシアの軽井沢」と命名したという。物価が日本の数分の1のため、リタイヤした人たちのロングステイ先として、年々人気が高まっている。紅茶をはじめ、高原野菜、花の栽培地としても知られ、現在は、高級別荘地、高級ホテル、長期滞在者向けのミニ・ホテルなどが点在する人気のリゾートとなっている。ゴルフ場もあり、1日1000円程度でプレーできるとあって、ゴルフ好きにはたまらなく魅力ある場所のようである。散歩好きには初心者向から上級向まで、いくつもトレッキングコースが用意されている。

キャメロン会」という、首都圏を中心に活動しているボランティア組織がある。キャメロン・ハイランドをロングステイ先として、3週間から3ヶ月ほどの期間、ここで生活してみたいという意思のある人たちが相互の親睦を図ったり、現地の人々との交流を促進することを目的とした団体で、会が発足してすでに7年、1300人を越える会員がいるという。兄・猛夫の友人S氏が「キャメロン会」の理事をやっており、氏に3週間のマレーシア旅行へいっしょに行かないかと誘われたそうだ。S氏夫婦と兄夫婦、そのほか数組も賛同して1月下旬にみんなで出かけることがきまったという。兄は、ロングステイというのは体の半分は現地人になるような生活なのだから、マレーシア語を勉強しておこうということで、日常会話の基本を勉強しているうちに、突然「キャメロン高原讃歌」をこしらえてみようと思いついたそうだ。それが先のメールだった。

投稿日:2005年06月17日(金) 11:39

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)