「おもしろ古典落語」の83回目は、『船徳(ふなとく)』というお笑いの一席をお楽しみください。
江戸の隅田川の川筋には、船宿というのがありまして、ここから舟をだすというぜいたくな遊びがはやっていました。なかには、遊びに夢中になりすぎて、親から勘当されてしまった若旦那が、お出入りの船宿に居候をしてたなんてのが、よくありました。柳橋の船宿・大枡(だいます)に居候していましたのが大家の若旦那の徳三郎。ひまをもてあました末に、いなせな姿にあこがれて「船頭になりたい」といいだしました。「竿(さお)は3年、櫓(ろ)は3月」というくらい、小さな舟をあやつるのはむずかしいのに、親方はじめ船宿の若い衆の集まったところで「これからは『徳』と呼んどくれ」と、船頭になる宣言をしてしまいます。
お暑いさかりの四万六千日。浅草の観音様にこの日一日おまいりすれば、四万六千日おまいりしたのと同じご利益があるというので、ものすごい人出です。なじみ客の通人が連れとやってきましたが、あいにく船頭が出払っています。柱に寄り掛かって居眠りしている徳をみつけた通人は、そこに若いのがいるじゃないかと引き下がりません。船宿のおかみが止めるのもきかず、「おかみさん、やらしてくださいよ。このまえみたいに、ひっくりかえすようなことはございませんから」と、にわか船頭になった徳、二人を乗せて大棧橋までの約束で舟を出すことになりました。
竿で岸をぐいとついた徳三郎でしたが、舟がなかなか出ません。「徳さん、もっと腰をぐっと張って」「張ってるんですよ、おかみさん。これ以上張ったら、おならが出ます」「出るわけねぇや船頭さん、舟がもやったままだ」「あっなるほど、では綱をほどいて…へへ、出ました。出りゃこっちのもんだ」「どうだい、舟は、いい気持ちだろ?」「おまえは好きだから、そうやってはしゃいでるけど、あたしゃ、あんまり好かないね」「おい、若い衆、いつまで竿をつっぱってねぇで、櫓にかわったらどうだ?」「ええ、それじゃご希望にこたえて、櫓にかえて、うんうん、うんとこしょ」「どうした? 櫓にかわったはいいが、舟がぐるぐる回るよ」「へっ、ここはいつも三どっつ回るんで。立っちゃだめですよ。あっ、竹屋のおじさーん…、これからお客をね、大桟橋まで送ってきまきますから…」「徳さん、ひとりかい? 大丈夫か?」「おい、おれぁあげてもらいてぇな。いま、へんなことをいったよ」「うるさいよ、君は、若い衆、心配ないだろ?」「へぇ、たいしたことないんですよ、この前ね、子どもを連れたおかみさんを、川ん中落っことしたんで、ああいって心配してくれてるんです」「おい、おい、たいしたことあるよ。しかしこの舟は、がくがくゆれるだけじゃなくて、だんだん端に寄るよ…、石垣へくっつくよ」
「へぇ、さようでござんす。この舟は石垣が好きでして…はい、くっつきました」「くっつきましたっていばってねぇで、どうするんだ」「こうもり傘を持ってる旦那、それをつぼめて、石垣をちょいと突いてください」「こんな用の多い舟ってのはねぇな。石垣を突くんだな、離れたら、ずっとこぐんだよ、そらっ、離れた。あっ、だめだ、おいおい、石垣の間に、傘がはさまっちゃった」「あきらめなさい。もうそこへは二度と行きません」「冗談じゃない、あの傘は、まだ買ったばかりだ」「お客さん、傘と命はどちらが大事ですか?」「そりゃ、命だ」
さんざん二人の客に冷や汗をかかせて、大桟橋へやってきた徳さん、こんどは舟を浅瀬に乗りあげてしまいました。「驚いたね、さすがのあたしも、こんな舟に乗ったことないよ。三年ばかり寿命をちぢめちゃった。…おい、若い衆、桟橋はそこに見えてるんだ、もういっちょう頼むよ。えっ? もうだめ? 声も出ねぇのか、なんだい、勝手にあがってくれって、手で合図してるよ」「じゃ、どうやって、あそこまで行くんだい?」「しょうがないだろ、川ん中へ入っていくしか」「冗談いっちゃいけませんよ。あたしがいやだってのを、おまえが無理にのせたんだ。だから、あたしをおぶってっとくれ」「まぁ、いい。もうここは浅いんだ、さぁおぶさり。おい、若い衆、おれたちゃあがるけど、おめぇ、青い面してるが大丈夫か?」
「ヘッ、お客さま、おあがりになりましたら、船頭を一人雇ってください」
「8月30日にあった主なできごと」
1871年 国木田独歩誕生…『武蔵野』『牛肉と馬鈴薯』 『源叔父』 などの著作をはじめ、詩人、ジャーナリスト、編集者として明治期に活躍した国木田独歩が生まれました。
1945年 マッカーサー来日…第2次世界大戦に敗れた日本は、9月から1952年4月まで6年9か月間占領され、連合国軍司令部(GHQ)による間接統治が行なわれました。その最高司令官に任命されたアメリカのマッカーサー元帥が、神奈川県の厚木飛行場におりたちました。