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現代絵画の先駆者ブラック

今日8月31日は、ピカソとともに「キュービズム」(立体派)の創始者といわれるフランスの画家ブラックが、1963年に亡くなった日です。

1882年パリ郊外にあるセーヌ川沿いの町アルジャントイユで生まれたジョルジュ・ブラックは、ル・アーブルで育ち、少年時代は家業のペンキ屋・装飾画家の見習いをしながら、1897年ころから2年間美術学校の夜学で絵を学びました。 

1900年、装飾画家としての資格を得ようとパリに出ました。1年間の兵役後にパリのモンマルトルに住み、アルベール研究所に学びましたが、アカデミックな指導にいやけがさして、毎日のようにルーブル美術館へ通い、街へ出ては印象派などもっとも新しい傾向の画廊をのぞいては、絵の研究に没頭しました。やがてマティスの影響を受け、フォービズム(野獣派)に属して大胆な筆使いによる強い色彩の絵を描くようになります。

1907年に開かれた、サロン・ドートンヌの「セザンヌ記念回顧展」に刺激を受け、同年11月に、画商の紹介で詩人アポリネールと共にピカソのアトリエを訪れ『アビニョンの娘たち』を見たことで大きな衝撃を受けました。それ以後ブラックは、プロバンヌの港町レスタックとパリを往復しながら絵画制作に取り組み、ピカソとお互いに影響しあって、「キュービズム」という新しい絵画運動をはじめました。しかし、「キュービズム」とは、1909年にブラックの描いた『レスタック風景』を見たマチスが「これはキューブ(立方体)でてきている」といったことや、詩人のアポリネールが二人の交流を応援し、その芸術が広く認知されるようになっていったためです。ピカソがアフリカ芸術への取り組みからキュビスムへ発展したのに対し、ブラックはセザンヌへの取り組みからキュビスムへ発展したまさに革命的な画法でした。『楽器』(下の絵)は、当時ブラックの描いた絵のひとつです。

braque.jpg

第一次世界大戦の兆しが強くなってきた1914年の前半までは、ブラックはピカソとパリで作品を制作していましたが、大戦が勃発してブラックが出征してしまうと、長らく続いたピカソとの共同作業は途絶えてしまいます。

1917年にブラックは制作を再開するものの、大戦以前のキュビスム絵画とは決別していました。1920年代に入ると、写実的で落ち着いた静物画を多く描くようになり、油絵ばかりでなく、版画や彫刻、ステンドグラス、室内装飾や書籍のさし絵、宝石デザインなども手がけました。

晩年になって、ブラックはピカソと交友を復活しますが、「わたしは革命的な画家ではない。熱狂をもとめない。熱意があれば充分だ」と語り、もはや熱狂することなく、自己の密室にとじこもって、鳥のイメージのある絵をかきつづけていきました。


「8月31日にあった主なできごと」

1957年 マラヤ連邦独立…19世紀後半からイギリスの支配下にあったマラヤは、マラヤ連邦として独立宣言をしました。なお、マラヤ連邦は、1963年にイギリス保護国だった北ボルネオ他と統合し「マレーシア」となりました。

1997年 ダイアナ妃交通事故死…イギリスの元皇太子妃ダイアナが、パリ市内で不慮の交通事故で亡くなりました。

投稿日:2012年08月31日(金) 05:08

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)