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「国文学の新風」 折口信夫

今日9月3日は、民俗・国文・国語学者として大正・昭和期に活躍した折口信夫(おりぐち しのぶ)が、1953年に亡くなった日です。折口は、創作するときは釈迢空(しゃく ちょうくう)の号を使い、歌人としても有名です。

1887年、大阪(現・浪速区)に薬屋をかねる医家に生れた折口は、4歳で小倉百人一首を暗唱、8歳から短歌の創作をはじめ、天王寺中学時代には、万葉集など日本の古典を愛読し、日本初の近代的国語辞典『言海』を精読するほどの早熟な少年でした。1905年に新設された国学院大学予科に入学し、平田篤胤国学につらなる三矢重松の教えうけました。また、根岸短歌会に出入りするうち島木赤彦、伊藤左千夫らと知り合いました。

大学を卒業後、大阪へ帰り中学教師などをしたあとに上京、短歌雑誌「アララギ」の同人となりましたが、のちに離れ、人間の孤独感を詠いあげる独自の自由な短歌を創るようになりました。いっぽう柳田国男の『石神問答』や『遠野物語』に感銘を受け、柳田の主宰する「郷土研究」に投稿しつづけるうち、柳田に認められました。とくに沖縄や信州の民間信仰や芸能に興味をもち、何度もおとずれては研究を深め、民俗調査によって日本古典や古代信仰を解き明かす「折口学」という学風を打ちたてました。柳田は、折口の古代人の霊魂信仰論ともいえる「まれびと」論を決して認めませんでしたが、折口は終生柳田を師として仰ぎつづけました。こうして二人は、民俗学の二大創始者といわれています。

1916年、折口は国学院大学内に郷土研究会を創設すると、『万葉集』全二十巻(4516首の口語訳 上・中・下)を刊行しました。国文学者としての折口の実力は大学内で早くから認められていたものの、柳田国男の民俗学を標榜していたことから保守派にうとまれ、身分が安定せず1919年に講師となり、3年後にようやく教授となりました。

1924年、初めての歌集『海やまのあいだ』を上梓し、折口が民俗学探訪の旅のなかで詠んだ、海や山やそこでひっそりと暮らす人々への共感の歌の数々は、歌人釈迢空の名を一気に高めました。

折口は、国学院大学以外に慶応大学教授にもなって多くの弟子を育て、小説『使者の書』や民俗学書『古代研究』などたくさんの著書を遺しましたが、太平洋戦争が多くのものを折口から奪っていきました。日本の「神」や「古代」がうとまれ、可愛がっていた養子を失ったためです。戦後は「芸術院賞」も授与され、著作や歌集、詩集などが次々と刊行されて華やかにみえたものの、心は空虚のままで、孤独な晩年をすごしたようです。

なお、オンライン図書館「青空文庫」では、折口信夫=釈迢空の著書146編を読むことができます。


「9月3日にあった主なできごと」

1189年 奥州藤原氏滅亡…平泉(岩手県)を中心に藤原清衡・基衡・秀衡と3代、およそ100年も栄えた藤原氏でしたが、秀衡が源義経をかくまったことがきっかけとなって、4代目の泰衡が源頼朝軍に滅ぼされました。清衡の建造した中尊寺金色堂(国宝)には、藤原氏4代のミイラが残されています。

1658年 クロンウェル死去…イングランド共和国の初代護国卿(王権に匹敵する最高統治権を与えられた職名) となったクロンウェルが亡くなりました。

1841年 伊藤博文誕生…明治時代の政治家で、初代、第5代、第7代、第10代内閣総理大臣になった伊藤博文が生まれました。

1969年 ホー・チ・ミン死去…ベトナムの革命家で、フランス植民地時代からベトナム戦争まで、ベトナム革命を指導したホー・チ・ミンが亡くなりました。

投稿日:2012年09月03日(月) 05:44

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)