「おもしろ古典落語」の49回目は、『小言幸兵衛(こごとこうべえ)』というお笑いの一席をお楽しみください。
麻布にある大家の幸兵衛、のべつまくなし長屋を回っては小言をいい歩いているために「小言幸兵衛」とあだ名がつけられています。「おい魚屋、魚をこさえるのはいいが、はらわたをむやみにまき散らして、蠅がたかっていけねぇよ」「糊屋のばぁさん、そんなとこで赤ん坊に小便させちゃ困るね、あとが臭ぇじゃねぇか」「どこの家だい? 焦げくさいな、また熊んとこだな、のべつ飯を焦がしてるから熊公は色が黒ぇんだ」しまいにはネコにまで「寝てばかりいねぇで、ネズミでもとれ」と説教している始末です。長屋の住人はもう慣れっこになって苦にしませんが、新しい借り手が来ても、いうことが気に入らないとすぐに小言をいって帰してしまいます。そんなことですから、「貸家」と貼った札がはがれたことがありません。
「おい、ばぁさんや、玄関に誰かいるよ…、家主はあたしだが、何かご用かな」「この先の貸間を借りたいと思うが、店賃はいくらかな?」「誰が貸すといった? お前さんは口の聞き方を知らないね。いいかい、『あそこに貸家有りとありますが、いかがでございましょうか』ぐらいいってみな。それで貸すといわれたら『それでは店賃はおいくらでございましょう』というのが順序じゃねぇか」「さようでございました。で、貸していただけますか?」商売は、豆腐屋。子どもはいるかと聞かれ、「幸せなことにそんなのはいないと、大いばりでいわれて幸兵衛は気に入りません。子どもといったら国の宝、夫婦の宝。授かりたくても授からず、神や仏に願かけする人だっている。何が幸せなことにだ、と追い返してしまいます。
次に来たのは仕立屋。物腰も低く、堅そうで申し分ないと見えましたが、22歳になる六三郎というせがれがいて、トンビがタカを生んだといわれるほどの役者みたいないい男、仕立ての腕前は親父以上と聞くと、幸兵衛は「店は貸さないほうがいいな。なぜ? この筋向こうに古着屋があって、そこの一人娘のおそのは今年19、麻布小町と評判の器量良しだ。おまえのせがれはずうずうしい野郎だから、すぐ目をつけて、古着屋夫婦の留守に上がりこんで、いつしかいい仲になる。すると女は受け身だから、たちまち腹がポコランポコランポンポコランとせり出してくる。『いったい誰とこんなことに…』『お父さんお母さんごめんなさい。じつはお向こうの仕立て屋の六三郎さんと…』と白状するな。結構な話じゃないかと、古着屋からお前のせがれを婿にという話になる」「ちょっと待って下さいよ。何しろせがれは一人息子ですから、婿にはやれません。嫁にもらうのならまだいいですけど」「そうでしょ、必ずそうなるんだ。店は貸せないから帰っとくれっ」
入れ替わって飛びこんできたのは、えらく威勢のいい男。「やい、家主の幸兵衛ってのはてめぇか」「手前ですが」「あの先のうすぎたねえ家を借りるからそう思えっ。店賃なんぞ高えこと抜かすと、ただじゃおかねえぞ」「おっ、何とも乱暴な人が来たな。ばぁさん、恐がらなくてもいいよ、そんなところで震えてちゃしょうがねぇな。ところでご家内はおいくたりで?」「おれに山の神に道陸神に河童野郎だ」「ほう、化け物屋敷ですな、で、なんです? 山の神とか河童野郎とかっていうのは」「山の神はかかぁで、道陸神はおふくろ、河童野郎はガキのこったぁ」「いやー、どうもすごい話だ…で、おまえさんのご商売は?」「鉄砲鍛冶よ」
「なるほど、だからかポンポン言いどおしだ」
「11月18日にあった主なできごと」
1901年 八幡製鉄所操業…福岡県北九州市に建設された八幡製鉄所が操業を開始しました。近代化を推し進めていた明治政府が、殖産振興・富国強兵をもとにしたわが国初の本格的な製鉄所で、日露戦争、第1次世界大戦での鉄鋼需要の急増で、急速に発展しました。
1903年 パナマ運河条約…太平洋とカリブ海を結ぶパナマ運河は、スエズ運河をひらいたレセップスが開発に着手しましたが、難工事のため断念。アメリカ合衆国はパナマとの間でパナマ運河条約を結び、10年以上もかけて建設を進めて、1914年に開通させました。そのため長いあいだアメリカによる支配が続いてきましたが、1999年末、パナマに完全返還され、現在はパナマ運河庁が管理しています。
1904年 古賀政男誕生…『丘を越えて』『影を慕いて』『青い背広』など、日本人の心にふれるメロディで、今も口ずさまれているたくさんの歌謡曲を作った作曲家 古賀政男 が生まれました。