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たがや

「おもしろ古典落語」の36回目は、『たが屋(や)』というお笑いの一席をお楽しみください。

江戸名物のひとつに、両国の川開きがありました。両国橋の上は花火の見物人でごったがえします。むかしは、鍵屋(かぎや)と、玉屋(たまや)と2軒の花火屋がありましたが、玉屋が火事を出したために取りつぶしになり、鍵屋だけになりました。ところが、どういうわけか花火をほめる言葉は「たァまァ屋ァ!」というのが相場になって、「玉屋」の声ばかりあちこちで聞こえる夕ぐれのこと。

ごったがえす両国橋を、本所方向から橋に乗りこんできた侍の一行がありました。馬に乗ったどこかの旗本が、槍をもって馬の手綱を引く者、徒歩の侍を連れて、「寄れェ、寄れェいッ」と、橋いっぱいの人々を押しのけながら、橋の真ん中までやってきました。いっぽう、反対側の広小路方向から通りかかったのが、商売物の桶を締める竹のたばをかついだ、たが屋です。「いけねえ、川開きだ。えれえことしちゃったなあ。もっと早く気がつきゃァよかったな。といって、永代橋を回っちゃしょうがねえし、吾妻橋へ引き返すわけにもいかねぇ。しかたがねえ。通してもらおう。すみません」といいながら、こちらも橋の真ん中に近づきます。

もみ合いへし合う中、たが屋のかついでいたたががはずれて、向こうからやって来る馬に乗った旗本の笠に当たって、笠をはじき飛ばしました。旗本の頭の上は、茶台みたいなものが載っているだけなので、見物人がドッと笑いました。恥をかかされた供侍は、「たわけ者め、屋敷へまいれ」「後ろから押されたもんですから、つい…。どうか、ご勘弁を」「ならぬ、ただちに屋敷へまいれ」「屋敷へ行きゃあ、この首は胴についちゃいねぇんだ」「ならぬ」「家へ帰らにゃ、目の見えねぇおふくろが路頭に迷います。助けてください」たが屋は平謝りにあやまりますが、侍は容赦しません。

すると、開き直ったたが屋「血も涙もねえ、眼も鼻も口もねえ、のっぺらぼうの丸太ん棒野郎の三一(さんぴん)め」「さんぴんとはなんだ」「知らなきゃ教えてやらぁ。三両一人扶持もらって、年じゅうピイピイしてるやつのことを、さんぴんてぇんだ」「無礼なことを申すと、斬り捨てるぞ」「こちとら江戸ッ子だい。侍なんぞをこわがってちゃ江戸の町は歩けねぇ、たが屋を商売にしていても、ガキのじぶんから喧嘩が好きで、少しは腕に覚えがあるんだ。斬るならきってみろ」 すると供侍は差していたいた刀をさっと抜いた……と思いきや、ふだんから貧乏で、内職に追われて刀の手入れまで手がまわらず、すっかり錆ついています。ひどい音を立ててぬいた刀で斬りつけます。たが屋は怖いから、首をひっこめると、刀は空をきって橋の欄干に。そのすきに、たがやは侍の効き腕をピシリと手刀で打ちました。ふだんから桶の底をひっぱだいているから、腕っぷしは強い。供侍は思わず刀をポロリ。刀を拾ったたが屋がうしろから、ヤッと斬りこんだからたまりません。ヤジ馬たちは、「やっ、斬った斬った、えれぇもんだ」と大喝采。

ついに旗本が馬から下りて槍をしごきます。突いてくる槍を、たが屋はグッとつかみ、横一文字に刀をはらうと、勢い余って旗本の首が宙天に。まわりにいた見物人が

「あっ、上がった上がった。たァがァ屋ァー!」


「8月26日にあった主なできごと」

1743年 ラボアジエ誕生…従来の化学理論を次々と正し、実験で証明して「近代化学の父」と称されるフランスの ラボアジエ が生まれました。

1789年 フランス人権宣言の採択…フランス革命で、バスティーユ牢獄の襲撃をはじめその後の動乱が落ち着いたこの日、国民議会は憲法の前文にあたる「人間と市民の権利宣言」(人間宣言)を採択しました。アメリカの独立宣言を範としたこの宣言は17条からなり、権利の平等、人間が当然の権利として持つ自由、主権在民、思想・言論の自由、所有権、安全、圧政に対する抵抗権の確認などの原則が示されています。この民主主義の考え方は、新しい市民社会の原理となりました。

投稿日:2011年08月26日(金) 06:27

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)