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片棒

「おもしろ古典落語」の26回目は、『片棒(かたぼう)』というお笑いの一席をお楽しみください。

あかにしやケチ兵衛という男がいます。その名前のように他人から何といわれようとケチに徹して、食うものも食わずに金をためこみ、一代で分限者になりましたが、70歳を越えてそろそろ先が見えてきました。3人の息子のうち、見どころのあるせがれに身代を譲ろうと、「おれが死んだら、その葬式(とむらい)はどうする」と聞きました。

まず長男の松太郎。「亡くなった晩は、通夜をやります。そして、あくる日、仮葬を出しておきます。本葬の日が決まりましたら、その時も二晩ばかり通夜をしまして…」というので嫌な予感がしましたが、さらに、慈善事業に一万両ほど寄付するというので、おやじはど肝を抜かれました。葬式はすべて特別あつらえの豪華版。料理も黒塗り金蒔絵の重箱に、うまいものをぎっしり詰め、酒も極上の灘の生一本。さらに、車代に十両ずつ三千人分……。「ばか、あっちへ行け。とんでもねえ野郎だ、葬式で身代がつぶされてたまるか」

次は次男の竹次郎。「本葬には、家に紅白の幕を張ります」……、おやじはまたまた嫌な予感。案のじょう、盛大な行列を仕立てて町内を練り歩き、とびの木遣りに、有名どころの芸者の手古舞、山車(だし)や神輿(みこし)をくり出してワッショイワッショイ。親戚の総代が弔辞で「あかにしやケチ兵衛君、平素から粗食に甘んじ、ただ金が増えるのを唯一の楽しみにしておられしが、栄養失調のためおっ死んじまった。ざまぁ……もとい、人生面白きかな、また愉快なり」「ばか、何が愉快なりだ。あっちへ行け。弔いだか祭りだかわからねぇ」 

続いて三男の梅三郎。「おい、もうおまえだけが頼りだ。兄貴たちとは違うだろうな」「兄さんがたは、正気の沙汰とは思えません」…やっと、まともなのが出てきたと安心しましたが、「死ぬってのは自然に帰るんですから、立派な葬式なんぞは要りません。ものの本によりますと、外国(とつくに)には、鳥葬などという習わしがありまして、亡骸を鳥につつかせる……」「おいおい、まさかそれをやるんじゃ…」「いや、ここは大和の国、野原にうっちゃるわけにはいきませんから、墓地へ埋めるくらいの手間はかけます。本来ならば、お葬式は省きたいところですが、たいへん質素にいたします。まあ通夜を出しますが、あくる朝、葬式は午前十一時ということで触れをだします」「お昼にかかりゃしないかい?」「ですから、そういっといて八時に出してしまうんです」「みんな無駄足するだろう」「ええ、みんな間に合いません。たとえ何人か会葬者があれば、菓子などを出さなくてはなりません。早く出てしまえば、お互いによろしゅうございます」「なるほど、えらいな。お前を生んどいてよかった」

「それから棺桶でございますが、ああいうものを葬儀屋へ頼みますと、大変お金がかかりますし、だいいち新しい木を焼いたり埋めたりしてしまうのも、まことにもったいない話です。で、私は物置にある菜漬けの樽で間に合わせようと思います」「菜漬けの樽?……いいとも、死んだあとだから匂いだってわかりゃしねぇや。抹香は高いから、かんな屑でいいよ。なにごとも家のためだ、それから?」「蓋をして、樽に荒縄を十字にかけて、天秤棒を通して差し荷いにしますが、人足を頼むと金がかかりますから、あたしが前の片棒を担ぎます。ただ、後の片棒が困ります」

「なぁに心配するな。片棒はおれが担ぐ」


「6月16日にあった主なできごと」

756年 楊貴妃死去…中国・唐の時代、玄宗皇帝の妃となりましたが、安禄山の反乱(安史の乱)を引き起こしたため「傾国の美女」と呼ばれる 楊貴妃 が亡くなりました。

1699年 河村瑞賢死去…江戸の大火事の際、木曾の材木を買い占めて巨富を得、事業家として成功した 河村瑞賢 が亡くなりました。

1924年 三民主義…現代中国の生みの親ともいわれる 孫文 は、民族・民権・民生主義を総合する「三民主義」の革命理論の講演をし、孫文指導下の国民運動は最高潮に盛り上がりました。

1963年 女性初の宇宙旅行…ソ連(ロシア)の宇宙飛行士テレシコワは、ボストーク6号で地球を48周、70時間以上の宇宙飛行に成功しました。

投稿日:2011年06月16日(木) 06:10

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)