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『ペール・ギュント』 のグリーグ

今日6月15日は、ノルウェーの国民主義音楽家を代表するグリーグが、1843年に生まれた日です。

スウェーデン統治下にあったノルウェーのベルゲン市に、スコットランド系商人の父とピアニストの母のもとに生まれたエドバルド・グリーグは、6歳ころから母にピアノを学びはじめ、12歳で作曲をはじめました。才能が認められ、15歳からドイツのライプチヒ音楽院に3年半留学し、一流の教師からピアノ、音楽理論、作曲を学びました。また、留学中にショパン、メンデルスゾーン、ワーグナー、シューマンら、当時のもっとも新しいといわれた音楽とふれることができたのは幸いでした。

それからの3年間、デンマークのコペンハーゲンに居住しているうち、この国の国民主義音楽に魅せられて、グリーグもまた母国ノルウェーの音楽から着想した独自の創作をしたいと考えるようになりました。1864年に帰国、同年代の作曲家ノルドラークと知り合って共鳴し、二人は競うように自国の民謡のメロディやリズムを積極的に採り入れた、民族的音楽を次々に生み出していきました。

やがて、1867年に現在のオスロ・フィルハーモニー協会の指揮者に就任するなど、ノルウェーの第一級作曲家となったグリーグは、1874年、同国の文豪イプセンと知り合い、自作の戯曲『ペール・ギュント』に付属する音楽の依頼を受けました。こうして出来上がったのが組曲『ペール・ギュント』でした。戯曲は、ノルウェーに古くから伝わる伝説がもとになったもので、こんなあらすじです。

知恵も力もありながら、意志が弱く空想にふけってばかりいる若者ペール・ギュント。ソルベーグという美しい恋人がいるのに、イングリッドという娘を結婚式場から略奪して山の中に逃げこみました。二人の生活に飽きたペールは、娘を捨てて森をさまよううち、山の魔王の娘に結婚を申し込まれました。これを断ると、魔王の怒りを買って殺されかけます。命からがら逃げぬいて、山小屋に住むソルベーグのもとへたどり着きました。ところがそこへ、魔王の娘が気味の悪い奇形児を連れて訪れ、二人の間にできた子だと呪いの言葉を投げつけます。ペールはソルベーグとの愛の巣を去り、母オーゼのもとへ逃れるものの、喜びもつかの間、母は死んでいきます。行方知らずの旅に出たペールは、モロッコやアラビアなど世界中をめぐるうち、カリフォルニアの金鉱をさぐりあて、意気揚々と帰国の途につきました。ところが嵐にあって船は難破し、身ひとつで故郷に帰ります。そこには、すでに白髪となったソルベーグが、昔の恋人ペールの帰りを待っていたのでした……。

グリーグの23曲の音楽からなる組曲は、1876年オスロの国民劇場で初演され、大好評を博しました。のちにグリーグは、第一組曲「朝」「オーゼの死」「アニトラの踊り」「山の魔王の宮殿にて」、第二組曲「イングリッドの嘆き」「アラビアの踊り」「ペール・ギュントの帰郷」「ソルベーグの歌」の各4曲計8曲を演奏会用組曲として残しました。どの曲も、叙情的な美しいメロディーにあふれていますが、特に1曲目の「朝」と、最後の「ソルベーグの歌」は名曲中の名曲として、最も広く知られています。


「6月15日にあった主なできごと」

774年 空海誕生…平安時代に中国から真言密教をもたらして真言宗を開き、高野山に金剛峰寺を建てた 空海 が、生まれました。空海は弘法大師の名で親しまれています。

1215年 マグナカルタ成立…イギリス憲法の聖書ともいわれる「マグナカルタ」(大憲章)に、横暴だったジョン王が署名し、王も法に従うという原則が定められ、イギリス立憲政治の出発点となりました。

1242年 北条泰時死去…鎌倉時代の3代目の執権となり、、武士の初めての法律『御成敗式目』(貞永式目)をこしらえ、16代続いた執権政治の基礎をきずいた 北条泰時 が亡くなりました。

1769年 佐藤信淵誕生…明治維新の100年近くも前に生まれながら、国学、儒学、蘭学、動・植物、天文、地理、測量など広い学問に通じ、明治以降の日本のすがたを明確に予想した学者 佐藤信淵 が生まれました。

投稿日:2011年06月15日(水) 09:04

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コメント (1)

村石太マン:

グリーグ ペールギュント 朝 は さわやかな 目覚めに 聴くと よいとある資料に書かれていました。この曲 学生の頃(義務教育課程)聞いたなぁ。壮大な 感じもします。音楽同好会(名前検討中

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)