今日6月14日は、体系的な社会学を構築したことで評価の高いドイツの社会学者・経済学者のウェーバーが、1920年に亡くなった日です。
マックス・ウェーバーは、1864年、中部ドイツ(当時はプロイセン王国)エルフルト市の役人だった父と、敬虔なプロテスタント(ピュリタン)の母との間の長男として生まれました。生後まもなくベルリンに移り、父は「国民自由党」の政治家となったため、両親の影響からウェーバーは、政治と宗教に深い関心をいだきながら、1871年に成立したばかりの「ドイツ帝国」の首都ベルリンで成長します。父にならって政治家をめざしましたが体が弱く、ハイデルベルク大学、ベルリン大学、ゲッチンゲン大学で歴史、法学、哲学、経済史などを学びました。裁判所に勤務後、まもなく学究生活に入ります。
1894年ベルリン大学で商法の助教授、その翌年には30歳の若さでフライブルク大学の経済学教授に抜てきされました。1896年には、ハイデルベルク大学に招かれるなど、教壇に立ちながらさまざまな研究にはげみますが、1903年、うつ病のために教職を離れ、およそ15年間は、自由な研究者となって、社会科学の基本的な方法に関する研究、特に法・経済・歴史学にわたる実証的な成果を、次々に著しました。
まず、1904年に発表した『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』がそのひとつで、プロテスタントの世俗内禁欲が、資本主義の精神にあっていたことで、近代資本主義が成立したと論じたものでした。この考えは、当時のマルクス主義の考え方の基本にある唯物論への反証でもありました。つぎに、1910年ころから『経済と社会』に含まれるさまざまな論文をつづりはじめ、体系的な社会学を構築しました。また、1911年からは『世界宗教の経済倫理』の執筆を開始し、未完に終わるものの、古代ユダヤ教、ヒンドゥー教、仏教、儒教、道教から、カトリック、イスラム、プロテスタンティズムまでを俯瞰する壮大な研究でした。
いっぽう、ウェーバーは、1914年に第一次世界大戦が始まると、「ドイツ政治」の遅れを批判したり、連合国と早く講和条約を結べといった政治的発言を活発に行うとともに、ハイデルベルクの陸軍野戦病院に勤務するなど、行動力も伴う人物でした。
1918年には、ウィーン大学に招かれて再び教壇に立ち、『職業としての政治』を講演しました。国家・権力・リーダーシップ・権威(カリスマ的権威、伝統的権威、合理的合法的権威)、組織はどうあるべきかなどを説く内容は、大きな反響を呼んで、翌年出版されました。日本でも、丸山眞男、大塚久雄らたくさんの社会学者に強い影響を与えています。
「6月14日にあった主なできごと」
1571年 毛利元就死去…戦国時代に全中国地方と四国の一部を支配し、毛利家の最盛期をつくった毛利元就がなくなりました。
1811年 ストー夫人誕生…キリスト教人道主義の立場から、黒人奴隷の悲惨な境遇に心を痛め『アンクル・トムの部屋』を著したアメリカの女流小説家 ストー夫人 が生まれました。同書刊行から9年後に南北戦争がおきたため[戦争を巻きおこした小説]といわれるほど人々の支持を受けました。
1910年 『遠野物語』発刊…古くから庶民のあいだに伝え受けつがれてきた民話、生活のすがたや文化などを研究する学問「民俗学」を日本に樹立した学者 柳田国男 が代表著作『遠野物語』を刊行しました。この本で、岩手県遠野地方に伝わる民話が全国的に広まりました。