「おもしろ古典落語」の13回目は、『ぞろぞろ』 という、ミステリアスなお笑いの一席をお楽しみください。
昔、江戸・浅草の「うら田んぼ」のまん中に、「太郎稲荷」という小さな神社がありました。今ではすっかり荒れはてていて、その神社の前に、めったに客がこない茶店があります。老夫婦二人だけで細々とやっていますが、茶店だけでは食べていけないので、荒物や飴、駄菓子などを少しばかり置いて、かろうじて生計をたてています。貧しくはあっても、じいさんもばあさんも信心深く、神社の掃除や供えものは毎日欠かすことがありません。
ある日のこと、土砂降りの夕立がありました。いなかの中の一軒家ですから、外を歩いてる人が残らずこの茶屋に雨宿りにかけこんできました。雨がやむまで手持ちぶさたなので、ほとんどの人が茶をすすり駄菓子を食べていきます。こんな時でないと、こう大勢の客が来てくれることなど、まずありません。
雨がやんだので、飛び出していった客がまた戻ってきました。「だめだだめだ。今の雨で、つるつるつるっと、滑って歩けない。おじいさん、お宅でわらじを売ってませんか。売ってる? ありがてぇ、助かった、一足ください」「へぇ、ありがとう存じます。八文でございます」一人が買うと、おれも、じゃ私もというので、客が残らず買っていき、何年も売り切れたことのないワラジが、一度に売り切れになりました。
「ありがたいね、ばあさん、夕立さまさまだね。太郎稲荷さまのご利益(りやく)だ。明日、お稲荷さまへ、赤いご飯を炊いておくれよ。それからお神酒に、お榊も忘れなさんな、いいかい?」「はい、おじいさん、あっ、お店にお客さんですよ」「おや、源さん、今の土砂降りはどうでした?」「大変だったよ、大門寺の軒下であの雨はしのいだがねぇ、ここまでくるのに何度つんのめりそうになったか…あぁ、ようやくここにたどりついたってとこよ。これから鳥越まで用足しに行くんだけど、ワラジを一足売ってくれねぇか」「すまねえ、お前さんが来なさることがわかってりゃ、一足くらいとっておくんだったが、雨宿りのお客さんが残らず買っていっちゃって、一足もなくなっちまった」「だって、そこにあるじゃねぇか。天井を見ねえな、おじいさん」
そういわれて見上げると、たしかに一足あります。源さんが引っ張って取ろうとすると、何と、ぞろぞろっとワラジがつながって出てきたではありませんか。それ以来、一つ抜いて渡すと、新しいのがぞろりぞろり、いくらでも出てきます。これが世間の評判になって、茶店の老夫婦は正直者、太郎稲荷のご利益だと、この茶屋はたちまち名所になりました……。
そこからあまり遠くない田町に、はやらない髪結床がありました。客もなく手持ちぶさたで、自分のヒゲばかり抜いています。そこへ知人がやってきて太郎稲荷のことを教えられました。ばかばかしいけど退屈しのぎと思って稲荷見物に出かけたところ、押すな押すなの大盛況。茶店のおかげで稲荷も大繁盛で、のぼりや供え物は並べるところがないほどです。もちろん、老夫婦の茶店には黒山の人だかりで、お札(ふだ)がわりにワラジを買う客で、朝から晩まで押すな押すなの大行列。
これを見た親方、「そうだ、神仏のご利益。おれも授かろう。これから裸足参りをするぞ…南無太郎稲荷大明神さま、なにとぞあたくしにも、この茶店の年寄り同様のご利益をお授けくださいますように…南無太郎稲荷大明神さま…南無太郎稲荷大明神さま…」
いっしんに祈って、満願の七日目。願いが神に聞き届けられたか、急に客が群れをなして押し寄せます。親方、うれしい悲鳴をあげ、一人の客のヒゲに剃刀(かみそり)をあてがってすっと剃ると、……後から新しいヒゲがぞろぞろぞろっ……。
「3月10日にあった主なできごと」
710年 奈良時代始まる…天智天皇(中大兄皇子) の4女である元明天皇が、藤原京から奈良の平城京に都を移し、奈良時代がはじまりました。
1945年 東京大空襲…第2次世界大戦の末期、東京はアメリカ軍により100回以上もの空襲を受けましたが、前夜から深夜にかけての空襲はもっとも大規模なものでした。B-29爆撃機およそ300機が飛来して、超低空から大量の手榴弾、機銃掃射、木造家屋へ焼夷弾を浴びせました。爆撃は2時間40分にもわたり、その夜の東京は、強い北西の季節風が吹いていたため、下町地区は火の海と化し、死亡・行方不明者は10万人以上、焼失家屋18万戸、罹災37万世帯、東京市街地の3分の1以上が焼失しました。