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札幌農学校とクラーク博士

今日3月9日は、明治新政府の招きで来日、札幌農学校(現北海道大学)を創設し、「少年よ大志を抱け」という言葉を残したアメリカの教育者クラーク博士が、1886年に亡くなった日です。

1826年にマサチューセッツ州アッシュフィールドに、医師の子として生まれたウィリアム・スミス・クラークは、アマースト大学を卒業後同大学の教授を長くつとめました。日本人留学生でのちに同志社を創設する 新島襄 は教え子の一人でした。1867年にはマサチューセッツ農科大学学長になりましたが、その在職中、新島襄の紹介により明治政府の熱い要請を受けて、1876年7月、札幌農学校教頭として来日、実質的な創設者となりました。

在職期間は1年にも満たないものでしたが、専門の植物学ばかりでなく、自然科学全般にわたる講義を英語で行い、キリスト教信仰に基づくアメリカ式教育は大きな成果をあげました。その教育目標を、実践に役立つ身体づくりと、強じんな精神をつくることにおき、学生はもちろん、農学関係者をはじめ、明治の文化人や人々の考え方にも影響を与えました。札幌独立教会を創設した思想家の 内村鑑三 や 国際連盟事務次長となった 新渡戸稲造 は、博士から深い感化を受けたことで知られています。

そして、翌年の1877年5月の別れにあたって、学生たちに「Boys, be ambitious!(少年たちよ、大志を抱きなさい)」(しかし、金を求める大志であってはならない。利己心を求める大志であってはならない。名声といった束の間の大志を求めてはならない。人間としてあるべきすべてのものを求める大志を抱きなさい) と結びました。この言葉は、新しい国土の開拓に責任ある若者たちへのはなむけの言葉として強いインパクトを与え、名言として今も記憶され続けています。

帰国後は、マサチューセッツ農科大学の学長を1879年までつとめましたが、洋上大学の開学企画や鉱山経営に失敗するなど、不遇な晩年だったといわれています。


「3月9日にあった主なできごと」

1888年 梅原龍三郎誕生…豊かな色彩と豪快な筆づかいで独自の世界を拓き、昭和画壇を代表する 梅原龍三郎 が生まれました。

1933年 ニューデール政策…アメリカ大統領の ルーズベルト が世界恐慌を克服しようと「ニューディール(新規まき直し)政策」を発表。この日から100日間に銀行および破産直前の会社や個人の救済、TVA(テネシー川流域開発公社)などの公共事業、CCC(民間資源保存局)による大規模雇用などの全国民的な経済活動をスタートさせました。  

1934年 ガガーリン誕生…人類として初めて宇宙飛行をなしとげたソ連の宇宙飛行士 ガガーリン が生まれました。

投稿日:2011年03月09日(水) 06:30

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)