今日3月8日は、江戸時代後期の農民指導者で、「先祖株組合」という世界初の産業組合をこしらえた大原幽学(おおはら ゆうがく)が、1858年に幕府の弾圧に屈して自害した日です。
幽学は、1797年尾張藩に仕える身分の高い武士の次男として生まれました。しかし、18歳のときに父から勘当され、近畿・中国・四国を長く放浪しました。その間に儒学を学び、高野山へのぼって仏教をおさめ、神学を研究。ある和尚から易を学んでいたため、旅費につまると占いで礼金を受けたようです。
こうして諸国をめぐって豊富な知識を身につけた幽学は、1831年に房総半島に入りました。翌年下総国(千葉県)長部(ながべ)村の名主と心を許しあって、この地で生涯の理想のやりかたを実践する決意をしました。そして、農民たちへ、「性学」という、儒学を基礎としながら仏教、神道の説をもとり入れ、3道の中和を説く独自の道徳を講じたり、各地で学んできた農業技術を教えて歩きました。幽学の教えは、荒廃しきっていた農村に受け入れられはじめ、口でおしえるだけでなく自ら実践する生き方に、村人たちは次第に心を開いていきました。
1838年、幽学は「先祖株組合」を創設しました。金5両分(米3俵分)の株を先祖株とし組合員に株を積み立てさせ、1軒分が100両になると家を絶やさないために半分だけ渡し、残りの半分は子孫に残すという仕組みでした。さらに幽学は、耕地整理、質素倹約の奨励、バクチの禁止、また子どもの教育・しつけのために換え子制度(3〜6歳の子を1〜2年他家へ預ける)の奨励など、農民生活のあらゆる面を指導しました。また「改心楼」という教導所も建設するなど、長部村は数年のうちにみちがえるような豊かな村に変身していきました。
しかし幽学に不幸がおこりました。1852年、反感を持つ勢力が「改心楼」へ乱入したことをきっかけにして、怪しんだ勘定奉行がこの事件を取り調べはじめたのです。調べは執拗なもので、5年にも及びました。その結果、「性学」を間違った教えと断定して弾圧を強め、1857年には、幽学を100日間の江戸での謹慎、改心楼の取り壊し、先祖株組合の解散をいい渡したのです。
1858年正月、許されて長部村にもどった幽学が見たものは、性学を学んだはずの村の荒れはてた姿でした。「改心楼」を再興すれば、自分の身が危うくなるばかりか村人にも迷惑をかける、死んで人々の眠ってしまった心を覚ますほかはないと、墓地で切腹して果てたのです。心から農民を愛し、農事を改良して暮らしを豊かにし、幸福に生きる道を教えた点では、同時代の農民指導者 二宮尊徳 をも上回る野の哲人でした。
「3月8日にあった主なできごと」
1917年 ロシア(2月)革命…1914年に第1次世界大戦が始まると、経済的な基盤の弱かったロシア帝国は、深刻な食糧危機に陥っていました。この日、首都ペトログラードで窮状に耐えかねた女性労働者たちのデモがストライキを敢行、兵士たちもこれを支持しました。事態を収拾できなくなったニコライ2世が退位して、ロシア帝国は崩壊。この「2月革命」(注:ロシア暦2月23日)により、新しく生まれた臨時政府と各地に設置されたソビエトが対立することになりました。こうして10月に、ソビエトが臨時政府を倒して政権を樹立し、世界で初めての社会主義国家が誕生するのです。