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「すべての学問の父」 アリストテレス

今日3月7日は、古代ギリシアの哲学者・学者・教育者・著述家として、さまざまな学問を集大成したアリストテレスが、紀元前322年に亡くなった日です。

ギリシアでは、すでに紀元前776年から、ゼウス神の祭りとして古代オリンピックが開かれていました。また、同じころから、芸術や科学や哲学がさかえはじめていました。この古代ギリシアが生んだ大哲学者に、ソクラテス、プラトン、アリストテレスの3人があげられます。

プラトンは、紀元前427年に貴族の子として生まれ、子どものころから、文字のほかに詩や絵や音楽などを学びました。ゆたかな教養を身につけて政治家になるのが夢でした。ところが、20歳のころに、偉大な哲学者ソクラテスにめぐりあって哲学を学ぶようになり、やがて10年ののちに、ソクラテスが無知な政治家たちにさばかれて死刑になるのを目のまえに見てからは、正しいことがおこなわれない政治に疑問をもち、政治家になるよりも、人間の真実の生きかたを考える哲学を学ぶほうが大切だ、と信じるようになったからです。その後のプラトンは、アカデメイアとよばれた学校を建てて、真理の探求と若い人たちの教育に生涯をささげました。また、『ソクラテスの弁明』など、尊敬していたソクラテスの教えを数多く書き残しました。

アリストテレスは、プラトンよりも43年あとの紀元前384年、マケドニア王の待医を父に、ギリシア北部に生まれました。幼い頃から、学問の道にすすむことを心にきめていました。17歳のとき、アリストテレスはプラトンのアカデメイアに入りました。そして、はじめは弟子として、のちには協力者としてプラトンに代わって生徒たちを教えながら、20年間をここですごしました。先生のプラトンが死んでからは、アレクサンドロス 大王の家庭教師として、マケドニアに招かれました。

7年後の紀元前335年に再びアテネにもどり、郊外にリケイオンという学園を開いて、研究と教育に専念しました。物事の観察と分析の方法を重視して、弟子たちとさまざまなことを議論しながらともに学び、三段論法を体系化した「論理学」、物理・天文・気象・動物・植物の「自然科学」、さらに「倫理学」「政治学」など、あらゆる学問を網羅的に、しかも完成度の高いものに整理しました。

いわば、アリストテレスを出発点としない学問はほとんどないといってもよいほどで、その遺産は、2000年以上経っても評価されるものが多く、「すべての学問の父」とたたえられているのもうなずけます。ソクラテスがいなければプラトンは生まれず、プラトンがいなければ、アリストテレスはあらわれなかったかもしれませんが、その集大成をアリストテレスがやりとげた、といえそうです。

「人間は、ものごとをよく知ることを愛し、世の中の真理をとらえて、生きていかなければならない」──これが、古代ギリシアの哲学者たちが、最も大切にしたことでした。


「3月7日にあった主なできごと」

1608年 中江藤樹誕生…人を愛し敬う心を大切にし、母に孝養をつくして 「近江聖人」 とその徳望が慕われた江戸時代の儒学者 中江藤樹 が生まれました。

1778年 ハワイ島の発見…イギリスの探検家 クック がハワイ島を発見しました。翌年に上陸すると、原住民たちは神の化身として厚くもてなしたといわれています。なおハワイは、王国、共和国を経て、1898年にアメリカに合併されています。

投稿日:2011年03月07日(月) 06:33

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)