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『ピーターとおおかみ』 のプロコフィエフ

今日3月4日は、「20世紀のベートーベン」と高く評価されているロシアの作曲家プロコフィエフが、1953年に亡くなった日です。

セルゲイ・プロコフィエフは、1891年、帝政期のロシア(現在のウクライナ)に、農学者の子として生まれました。母が優れたピアニストだったため、幼い頃から母にピアノを学び、5歳のころには即興曲を音符に記すことができるほどでした。8歳の時には、モスクワで見た歌劇やバレエに刺激されて、自ら書いた台本でオペラを作曲、12歳の時には完成度の高い歌劇を作曲するほどの天才ぶりを発揮し、わずか13歳でペテルブルク(当時の首都・現在のサンクトペテルブルク)音楽院に入って、大作曲家リムスキー・コルサコフに師事して作曲を学びました。その間にも、ピアノ・ソナタ第1・2番、ピアノ協奏曲第1番などを作曲。10年ほどの在籍後、第1次世界大戦がはじまった1914年に卒業したときは、作曲とピアノの二つの最高賞を受けています。

1917年にロシア革命がおきると、その翌年にアメリカに亡命しますが、その途中に日本を訪れ、東京と横浜で演奏会が開かれました。その後パリに居を移し、20年近い海外生活の後、1936年に社会主義国となったソ連に帰国、ショスタコービッチやハチャトリアン、カバレフスキーらと共に、ソビエトを代表する作曲家として、交響曲、管弦楽曲、協奏曲、室内楽曲、ピアノ曲、声楽曲、オペラ、映画音楽などあらゆるジャンルにわたるたくさんの作品が残されており、今なお、演奏される曲がかなりの数にのぼる人気作曲家の一人です。

なお『ピーターとおおかみ』は、ロシアの民話を基に、プロコフィエフ自身が台本を書き、「子どものための交響的物語」として作曲されました。初演は1936年5月、モスクワの児童劇場で行われましたが、とてもわかりやすい上に、音楽的によくできているため、世界じゅうの子どもたちに愛され続けています。

この曲の特徴は、物語がはじまる前に、登場人物それぞれが、オーケストラの特定の楽器で紹介されるところでしょう。主人公の少年ピーターは弦楽四重奏、ピーターの仲良しの小鳥はフルート、おおかみに食べられてしまうあひるはオーボエ、ねこはクラリネット、口やかましいおじいさんはバスーン、狩人はティンパニー、おおかみは3本のホルンというように、それぞれの楽器が、ある決まったメロディで演奏され、性格も表現される工夫がなされています。

勇敢な少年ピーターが、知恵を働かせておおかみを生け捕りにするまでの詳しいストーリーは、いずみ書房のホームページで公開しているオンラインブック「レディバードブックス100点セット」『ピーターとおおかみ』(日本語参考訳)をご覧ください。


「3月4日にあった主なできごと」

1053年 平等院鳳凰堂…藤原頼通は、父 藤原道長 からゆずり受けていた宇治の別荘を「平等院」とし、極楽浄土といわれる鳳凰堂(阿弥陀堂)を完成させました。

1697年 賀茂真淵誕生…江戸時代の中ごろに活躍した国学者で、本居宣長へ大きな影響を与えた 賀茂真淵 が生まれました。

1788年 寛政の改革…江戸幕府11代将軍家斉は、白河藩主として評判の高かった 松平定信 を老中首座・将軍補佐とし、定信は「寛政の改革」を実施して幕政の改革をはじめました。8代将軍吉宗の「享保の改革」をめざしたものでしたが、あまりに堅苦しいものだったため、成功にはいたりませんでした。「白河の清きに魚の住みかねて元の濁りの田沼恋しき」と田沼意次時代を懐かしむ狂歌に詠まれるほどでした。

1878年 有島武郎誕生…絵のぐをぬすんだ生徒と、その生徒をやさしくいましめる先生との心のふれあいをえがいた児童文学『一房の葡萄』や『カインの末裔』『生まれ出づる悩み』『或る女』など社会性の高い作品を数多く残した白樺派の作家 有島武郎 が生まれました。

投稿日:2011年03月04日(金) 06:22

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)