児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ Top >  おもしろ落語 >  一眼国

一眼国

「おもしろ古典落語」の8回目は、『一眼国(いちがんこく)』という、奇想天外なお笑いの一席をお楽しみください。

昔はあちこちに、見世物小屋というのがありました。珍しいものを見せてお金をとろうという商売ですが、中にはインチキくさいものもありました。「さぁ、ごらんよ…世にもめずらしい怪物だぁ、目が3つで歯が2本だよ」入って見たら、鼻緒のぬけた下駄の片っぽが転がしてあります。たしかに、目が3つで、歯が2本ですから、文句がいえません。そうかというと、「八間(およそ15m)の大とうろうだよ…、どうだい」どんなに立派な灯籠かと思って木戸銭(料金)を払うと、「へい、いらっしゃい、こちらへ、こちらへ…」手をひっぱって裏口へとーんと突き出して、「表の方から裏のほうへ、通ろう、とうろう…」入口から出口まで、ちょうど八間というのですから、ひどい奴らがいたもんです。

(こんなインチキ商売はいつまでも続かない。両国に小屋を持っている香具師(やし)の親方は、六部(ろくぶ─巡礼)を一晩泊めてあげたあと、話をもちかけました。「おまえさんは諸国をずいぶんと歩いているから、珍しい話を聞いたり見たりしてるだろう、それを聞かせてくれれば、そいつをおれが探し出して、見世物小屋に出したいんだ。男と女が背中あわせになって生まれたとか、頭が2つとか3つの蛇を見かけたとかないかね、作りものならどんなもんでもできるが、生きてなくちゃだめなんだがね…」でも、六部は「そんな話はとんとない」といいます。一宿の恩をたてにさらにしつこく聞きますと、「一つ目の女の子」に会ったことがあるといいます。六部が思い出した話というのは、江戸から北へ、およそ百里(400km)も行ったところに大きな原っぱがあって、その真ん中にある大きな榎のあたりだといいます。これを聞くと香具師は喜んで、六部に金をあげ、早速その日のうちに旅支度をして家を出ました。北へ北へと夜を昼についでやってきたのが、大きな原っぱ…)

「ここんとこかな…、こりゃ、一つ目が出るような原っぱじゃねぇぞ、あの六部の奴、一杯食わしやがったんじゃねぇかね。あいつとちがってこちとら、路銀を使ってここまで来てんだからね。これで一つ目に会わなけりゃ、元も子もすっちまうってとこだ…。だが、待てよ、原の真ん中に榎がたった1本立ってるっていってやがったなぁ…そこに木が立ってるよ、ちょうど誂え通り…よーし、ものはためしだ、あの前までいってみよう」足を速めてさっささっさと行きすぎると、鐘がゴーン、なまあたたかい風がサーっと吹いてきました。

「『おじさん』『おじさん』って、どこかで声がしたよ。あっ、出たぁ…へへへへ、いつの間にか…一つ目が現われやがったねぇ…ありがてぇ、ありがてぇ、おじょうちゃん、おじょうちゃん、おじさんが、いいものあげるからね…おいで、おいで…」子どもは無邪気です。そばへやってきたのを、小脇にかかえこみました。子どもはびっくりして、キャーッと声をあげたので、口をおさえましたがもう遅い…法螺(ほら)がプゥゥゥゥ、早鐘がゴーンゴーンゴンゴンゴン…、プゥゥゥゥ…振り返ってみると、見通しのよいまっ平らな原っぱ、どこから出てきたのか、まるで地面から湧くようにピョコピョコ、だんだん人数が増えてせまってきます。どれもこれも一つ目ばかり。

「えれぇことになったな、こりゃ、子どももほしいが命も惜しい」あきらめて子どもをおっぽり出して逃げにかかると、なれない道、何かにつまずいて、どだっとのめったところを、「この野郎、とんでもねぇ野郎だ、おらんとこの娘かどわかそうとしやがった…、それっ、おっちばっちまえ、代官所へしょっぴいて行くんだ」

「これこれ、大勢してちょうちゃくをいたして、打ち殺してしまっては調べがつかん、それへひかえろ。そのほうの生国はいずこだ? 生まれはどこだ? なに、江戸? 江戸の者か。かどわかしの罪は重いぞ、面をあげい…面を上げい」「この野郎…面を上げろっ」「あっ、ご同役、ご同役…ご覧なさい、こいつは不思議だねぇ…目が二つある」

「調べはあとまわしだ、さっそく見世物に出せ」


「2月9日にあった主なできごと」

1152年 源頼朝が捕われる…保元の乱から3年、政治権力をめぐる争いは、平清盛方と源義朝方に分れて戦う平治の乱となりました。この日初陣の13歳の 源頼朝 は、父義朝とともに東国へのがれる途中捕われの身となり、伊豆の小島で流人の生活がはじまりました。

1856年 原敬誕生…日本で初めて政党内閣を組織し、爵位の辞退を表明したため平民宰相といわれた明治の政治家 原敬(はら たかし) が、生まれました。なお、原敬は1921年、首相在任中に暗殺されました。

1881年 ドストエフスキー死去…「罪と罰」「カラマーゾフの兄弟」などを著し、トルストイやチェーホフとともに19世紀後半のロシア文学を代表する文豪・思想家 ドストエフスキー が亡くなりました。

1932年 井上準之助暗殺…大正から昭和初期の政治家だった 井上準之助 が、「血盟団」という右翼組織の青年によって暗殺されました。

1956年 原水爆実験中止決議…第2次世界大戦で広島・長崎に原爆被害を受けたわが国は、1954年南太平洋にあるビキニ環礁で行なわれたアメリカ水爆実験で、第5福竜丸が死の灰をあび、久保山愛吉さんの死亡したビキニ事件がおこりました。これがきっかけとなって、原水爆禁止運動がさかんとなり、国会はこの日原水爆実験中止を決議、アメリカ、ソ連、イギリス政府に実験中止の申し入れをしました。

投稿日:2011年02月09日(水) 06:04

 <  前の記事 無政府主義のクロポトキン  |  トップページ  |  次の記事 女性解放と平塚雷鳥  > 

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://mt.izumishobo.co.jp/mt-tb.cgi/2329

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

         

2014年08月

          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

月別アーカイブ

 

Mobile

児童英語・図書出版社 社長のこだわりプログmobile ver. http://mt.izumishobo.co.jp/plugins/Mobile/mtm.cgi?b=6

プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)