今日2月9日は、大正から昭和初期の政治家だった井上準之助が、1932年に「血盟団」という右翼組織の青年によって暗殺された日です。
第一次大戦のころの特需が終わってからの日本の経済は、高騰していた株価が急落するなど、少しずつ不況がひろがっていました。それが1923年におこった関東大震災によって、大量の不良債権が発生して、深刻な事態にまでおちいっていきました。さらに追い討ちをかけるように、1929年10月アメリカのニューヨークウォール街にある証券取引所で株式の価格が大暴落、不景気が世界じゅう広がる「世界恐慌」のうずの中にまきこまれていきました。
1929年7月、田中内閣のあとをうけて成立した浜口内閣は、その対策をとらざるを得ません。大蔵大臣だった井上準之助は、経済低迷の原因を構造問題の結果などとして、金輸出解禁や緊縮財政を行なったところ、ゆるやかなデフレ傾向だったのが、いっぺんに10%を越えるまでにデフレが進み、「昭和恐慌」といわれる深刻な不況の大きな原因をつくってしまいました。
やがてこのような失政の責任を追及する声が高まり、その責任者だった井上準之助がねらわれたのです。
事件の真相を究明するうち、犯人の青年が「血盟団」という急進的な国家改造運動をするグループで、当時の社会的危機の打開をファシズムに求め、政界や財界の要人を暗殺する手段を強行したのでした。
この事件は、日本がファッシズムの嵐に巻きこまれるきっかけのひとつだったことに間違いありません。
「2月9日にあった主なできごと」
1152年 源頼朝が捕われる…保元の乱から3年、政治権力をめぐる争いは、平清盛方と源義朝方に分れて戦う平治の乱となりました。この日初陣の13歳の 源頼朝 は、父義朝とともに東国へのがれる途中捕われの身となり、伊豆の小島で流人の生活がはじまりました。
1856年 原敬誕生…日本で初めて政党内閣を組織し、爵位の辞退を表明したため平民宰相といわれた明治の政治家 原敬(はら たかし) が、生まれました。なお、原敬は1921年、首相在任中に暗殺されました。
1881年 ドストエフスキー死去…「罪と罰」「カラマーゾフの兄弟」などを著し、トルストイやチェーホフとともに19世紀後半のロシア文学を代表する文豪・思想家 ドストエフスキー が亡くなりました。
1956年 原水爆実験中止決議…第2次世界大戦で広島・長崎に原爆被害を受けたわが国は、1954年南太平洋にあるビキニ環礁で行なわれたアメリカ水爆実験で、第5福竜丸が死の灰をあび、久保山愛吉さんの死亡したビキニ事件がおこりました。これがきっかけとなって、原水爆禁止運動がさかんとなり、国会はこの日原水爆実験中止を決議、アメリカ、ソ連、イギリス政府に実験中止の申し入れをしました。