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ロシア帝国初代皇帝・ピョートル大帝

今日2月8日は、ロシアをヨーロッパ列強の一員とし、バルト海交易ルートを確保したピョートル大帝が、1725年に亡くなった日です。

ピョートル大帝は、頑丈な体と何ものにも負けない強い意志を持ち、ロシアの近代化をすすめました。ピョートル大帝が1672年に生まれたころのロシアは、たいへんおくれた国でした。政治のすすめ方が古く、そのため産業や文化、教育など、あらゆる点で西ヨーロッパにおくれをとっていました。

ピョートルは、少年時代を宮廷ではなく、モスクワに近いあるいなかの村でひっそり暮らしていました。高い身分にもかかわらず、近所のふつうの住民と自由に交際することができました。同じ土地に外国人ばかり住んでいる所があったので、ロシア人のまだ知らない、進んだ知識をたくさん耳にしました。ピョートルの胸はときめきました。数学や建築、航海術をはじめとして、工作、印刷まで幅広く知識を修得しました。また、いなかの子どもたちと兵隊遊びをして、野や山をかけまわる活発な少年でした。この兵隊遊びは、のちに本格的な軍隊となり、ロシアの軍事政策の中心となります。

ピョートルは、22歳の年から、皇帝としての仕事を始めます。国力をのばそうと、すぐれた計画をたて、すばやく実行しました。

トルコにあるアゾフというとりでは、ロシアが外交政策をすすめるのにじゃまなところです。さっそく、自分の支配におこうとしましたが、戦力不足で失敗してしまいます。そこで、ピョートルは、有名な外人技術者と腕のよい職人を国じゅうからかき集め、海戦のために軍艦をつくらせました。ピョートル自身が現場で監督し、寒さと重労働にたえられずに倒れる者には、むちの雨をふらせ働かせました。1696年、再びアゾフを攻め、占領に成功すると、勢いにのって、ますます海軍の強化につとめました。

疲れを知らぬ行動力で、必要な知識や技術は、自分自身の手で学びとり、吸収しました。1697年には、名前を変え、皇帝の身分をかくして、海外を視察に行きました。オランダは、造船の技術が進んだ国です。ピョートルは、職人の見習いとして、アムステルダムの造船所にもぐりこみ、基本から勉強しました。汗と油にまみれ、へりくだったすがたは、皇帝とは思えませんでした。一方、政治や経済についても、西ヨーロッパの進んだ考えをとり入れ、各方面の学者や専門家を連れ帰って、ロシアの根強いおくれを解決しました。

ピョートル大帝は、人なみ以上の体力と気力の持ち主でしたが、おぼれている部下を助けようとして、つめたい海に飛びこんだのがもとで体を弱らせ、死んでしまいました。


「2月8日にあった主なできごと」

1828年 ベルヌ誕生… 『80日間世界一周』 『海底2万マイル』 『地底探検』 『十五少年漂流記』 などを著し、ウェルズとともにSFの開祖として知られるフランスの作家ベルヌが生まれました。

1834年 メンデレーエフ誕生…ロシアの化学者で、物質を形づくっている元素の研究をつづけ「元素の周期律表」を作成した メンデレーエフ が生まれました。

投稿日:2010年02月08日(月) 09:24

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)