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26聖人の殉死

今日2月5日は、豊臣秀吉の命令により、カトリック信徒二十六名が、1597年に長崎で処刑された日です。

1549年、キリスト教イエズス会の宣教師 フランシスコ・ザビエル によって日本にもたらされた「キリスト教」は、スペインやポルトガルからやってきた多くの宣教師たちが、初等教育のセミナリヨや高等教育のコレジオと呼ばれる学校、病院、孤児院をこしらえるなど、地道な努力や布教活動が実って、信者を増やしていきました。

仏教の僧侶たちを心よく思っていなかった 織田信長 は、海外との貿易をさかんにしたいとの考えからキリスト教を保護しました。信長のあとをうけた 豊臣秀吉 もまた、はじめのうちはキリスト教の布教を許していました。

ところが秀吉は1587年、突然キリスト教を禁止する「バテレン(宣教師)追放令」を出したのです。その真意はよくわかっていませんが、おそらく、天下を統一した秀吉は、より強い封建社会を築きあげるために、キリスト教の掲げる人間の自由や平等という考えは、邪魔になると考えたのでしょう。でも、禁止令を出しても、本格的な取締りまでにはいたりませんでした。

1596年、サン・フェリペ号というスペイン船が土佐国に漂着した事件がおこりました。船荷を没収された船長が、その腹いせに「キリスト教の信者が増えれば、日本に軍隊を送りこみ、領土を広げる」といったとのうわさを聞きつけた秀吉は、キリスト教の信者26名をとらえ、京都の町中を引きまわした上、キリスト教が最も盛んだった長崎に送って、はりつけの刑に処しました。

26人は後にカトリック教会によって聖人とされましたが、これが日本のキリスト教受難の歴史のはじまりでもありました。
 

「2月5日にあった主なできごと」

664年 玄奘死去…中国・唐の時代の高僧で、中国の仏教を発展させた 玄奘(げんじょう) が亡くなりました。玄奘三蔵の著した旅行記「大唐西域記」は、のちの民の時代に、三蔵法師が、孫悟空、猪八戒、沙悟浄をしたがえて、さまざまな苦難を乗り越えて天竺へ経を取りに行く物語「西遊記」として描かれ、世界的に有名になりました。

1869年 小学校設置の奨励…明治政府は、小学校設置令を公布して小学校を設置するように全国に働きかけました。翌年に学制が発布され、1873年1月設置の東京師範学校附属小学校を皮切りに、1875年には約2万4千校の小学校が全国各地に設置されました。

投稿日:2010年02月05日(金) 09:10

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)