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ヤルタ会談

今日2月4日は、第2次世界大戦でドイツの敗戦が決定的になった1945年のこの日、ソビエトのクリミヤ半島にあるヤルタに、アメリカ合衆国大統領のルーズベルト、イギリス首相のチャーチル、ソビエト連邦(ソ連)首相のスターリンの3国首脳が集まって、ヤルタ会談がはじまりました。

ソ連は、1944年の5月までに自国の領土からドイツ軍を追い払ってドイツ軍を追って西へ進撃し、ポーランドなど東ヨーロッパの国々を次々に解放していきました。

アメリカやイギリスを中心とした連合国軍も、1944年6月には、北フランスのノルマンディに上陸し「史上最大の作戦」といわれる作戦を成功させ、ナチス・ドイツによって占領されていた西ヨーロッパへの侵攻作戦を開始していきました。

フランスでは、レジスタンス(抵抗)運動をすすめる人々が中心となって、1944年8月に首都パリを解放しました。

ヤルタ会談は、そんな敗戦濃厚のドイツを今後どうするのかという問題を話し合うことが第1の目的で、戦後の国際機構として「国際連合」をつくり、その組織や運営の大筋を協議しました。

もう一つの大きな話題は、日本に関することで、「ヤルタ協定」という秘密協定を結びました。その内容は、ドイツ降伏後90日以内に、ソ連が日本との戦争に参戦し、アメリカに協力することを約束しました。その条件として、日本領だった樺太南部をソ連に返還すること、千島列島をソ連に引き渡すこと、満州の港湾や鉄道における利権をソ連のものとすることなどが認められました。

この協定に従って、ドイツが無条件降伏した1945年5月8日の約3か月後の8月9日(6日の広島に続き、長崎に原爆を投下した日)、ソ連は日本に宣戦布告して満州に侵入、短時間のうちに日本の関東軍を破りました。その翌日の8月10日、日本政府は「ポツダム宣言」(日本軍の無条件降伏等を求めた13条からなる宣言)を受諾することを連合国側へ通告し、8月15日に天皇が国民に向けて「終戦の詔」をラジオ放送(玉音放送)したことはよく知られています。

ソ連の参戦は、終戦までの1週間足らずだったにもかかわらず、60万人ともいわれる日本人捕虜をシベリアなどに抑留して、強制労働させました。厳寒な環境のもとで満足な食事や休養も与えず、労働に従事させたために、数万人もの命が失われたのです。このソ連の行為は、武装解除した日本兵を無事帰国させることを保証したポツダム宣言に背いたものでした。

この「ヤルタ会談」は、ドイツをはじめ東西ヨーロッパ各国間他米ソの対立が表面化し、東西冷戦(ヤルタ体制)のきっかけになったことなど、大きなしこりを残すものとなりました。
 

「2月4日にあった主なできごと」

1181年 平清盛死去…平安時代末期の武将で「平氏にあらざれば人にあらず」といわれる時代を築いた平清盛が亡くなりました。

1703年 赤穂浪士の切腹…前年末、「忠臣蔵」として有名な赤穂浪士46名が、吉良義央(よしなか)邸に討ち入り、主君浅野長矩(ながのり)のあだ討ちをしたことに対し、江戸幕府は大石良雄(内蔵助)ら赤穂浪士46名に切腹を命じました。

投稿日:2010年02月04日(木) 09:20

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)