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日露戦争の宣戦布告

今日2月10日は、日本政府が大国ロシアに対し1904年、宣戦布告をした日です。

日露戦争は、日本とロシアが、中国東北部の満州と朝鮮半島を、どちらが支配するかの争いでした。

1902年に、日本はイギリスと「日英同盟」という秘密同盟を結んでいました。どちらの国かが他の1国と戦争を始めた場合は、一方は中立を守る。2国以上と戦争した場合は、同盟国に味方をして参戦するというものでした。この同盟のおかげで、ロシアを含む2か国以上と戦争をしなくてもよくなった日本は、2日前の2月8日、中国の旅順と朝鮮の仁川に停泊していたロシア艦隊を奇襲し、戦争がはじまりました。

この戦争での主戦場は、旅順と大連を含めた遼東半島にロシア軍が築いていた要塞をめぐるものでした。乃木大将率いる陸軍は大苦戦、6万人の死者を出しながらも要塞を落とすことができません。そのため、本部から派遣されてきた児玉源太郎は作戦を変え、203高地という小高い山から攻めることにより、ようやく要塞を攻略することに成功しました。

もうひとつの戦場は日本海で、海軍司令官の東郷平八郎が率いる連合艦隊が、世界屈指といわれたロシアのバルチック艦隊を一方的に破りました。巨船の多いロシア船を狭い湾におびきよせることに成功したことが勝因といわれています。

戦争を有利に進めていた日本でしたが、軍事面でも財政面でも限界に近づいていました。そこで日本は、アメリカに戦争を終わらせるための仲だちをたのみました。国内で革命運動が高まりはじめていた相手のロシアもこれに応じ、1905年8月にアメリカのポーツマス軍港で、ロシアと話し合いをすることになりました。アメリカの大統領セオドア・ルーズベルトの調停で、ポーツマス講和条約を締結、終戦をむかえたのでした。

こうして日本は、ロシアとの支配権争いに勝利して、朝鮮半島での優越権ができた上、南満州鉄道(満鉄)の獲得など満州における権益を得ることができました。そして、明治維新のころからの課題だった不平等条約改正の達成に大きく寄与しました。

ところが、ポーツマス条約で賠償金が取れないことを知った国民は、大勝利を疑わなかったため、この結末に納得しません。死傷者500人以上も出した「日比谷焼打事件」をはじめ各地で暴動が起こり、戒厳令がしかれるほどの混乱でした。1年4か月にわたった日露戦争は、日本にとっても困難な戦いだったのです。

 

「2月10日にあった主なできごと」

1657年 新井白石誕生…江戸時代中期に活躍した旗本・政治家であり、歴史、文学、言語学、政治、地理、兵法、考古学、民俗学などに通じる博学の学者だった 新井白石 が生まれました。

1763年 イギリスがカナダを獲得…イギリスとフランスとの間で争われた植民地7年戦争が終わり、パリ条約が結ばれて、フランスはカナダをはじめ、ミシシッピー川以東のルイジアナをイギリスに譲渡し、北アメリカの領土を失いました。英国はすでにインドのフランス植民地も得て、いわゆる「太陽の没しない大帝国」を築き上げました。

1851年 水野忠邦死去…江戸時代の末期に「天保の改革」を指導したことで知られる 水野忠邦 が亡くなりました。

投稿日:2010年02月10日(水) 09:13

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)