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ドイツ観念論哲学の父・カント

今日2月12日は、プロイセン王国(ドイツ)出身の哲学者、思想家として活躍し、最も影響力の大きな近代哲学者の一人といわれるカントが、1724年に生まれた日です。

18世紀後半のドイツ哲学は、考え方が固定され、独断主義とよばれていました。人間にそなわっている知性や能力を批判したり、疑ったりせず、そのままの純粋な思考だけで真理を発見できるという考え方です。カントは、その古い思想をのりこえ、批判哲学という哲学体系を確立して、精神面を重視したドイツ観念論の代表的思想家となりました。

イマヌエル・カントは、毎日聖書を読む、静かな家庭に育ちました。信仰の厚い両親のもとで、つつしみ深い生活をおくり、寛容と道徳を身につけました。やがて、青年になると地元のケーニヒスブルク大学に進み、哲学を学びますが、数学や物理学などにも熱心にとりくみ、成果をあげました。カントが最初に書いた論文は『活力の真の測定についての考察』という物理学の研究です。卒業ご、数年間は家庭教師をして、生活していきました。しばらくすると、母校ケーニヒスブルク大学に講師として招かれました。数学、科学などの問題を講義して、15年めに教授へ昇進しました。カントは、こつこつときまじめに勤めつづけ、学長に選ばれたこともありました。

毎日規則的な生活を送り、朝は必ず5時に起床し、夜10時には床に入りました。1日の生活は、すべて計画にしたがって行動しました。散歩の時間まで時計のように正確に決めて、自分自身にきびしく義務づけました。

カントは、教授になってから10年あまりは、特に大きな活躍をしませんでした。でも、57歳になると『純粋理性批判』という論文を出版して、批判哲学の基礎をつくり、つづけて『実践理性批判』『判断力批判』を発表しました。カントの名は学問の世界に知れわたり、確かな地位を得ました。

そのころのヨーロッパの思想は、理性によって物の本質をとらえようとする合理主義と、経験によってみきわめようとする経験論と、2つの流れがありました。カントは、冷静に考え、理性でも、経験でもわりきれない精神的な世界があり、それが、道徳や宗教につながっていることを説きました。そして、科学と道徳、あるいは物と心をむすびつけるのは、判断力である、というふうにまとめました。カントの考えかたには、当時のヨーロッパにひろがっていた啓蒙主義の思想も、強くはたらいています。

カントは、一生だれとも結婚しませんでした。弱い体で1804年、80歳まで生きることができたのは、質素で、規則正しい生活をおくったからなのでしょう。


「2月12日にあった主なできごと」

1603年 江戸幕府開かれる…1600年の関が原の戦いで勝利して全国を制覇した 徳川家康 は、この日征夷大将軍に任命され、江戸幕府が開かれました。

1809年 リンカーン誕生…第16代アメリカ合衆国大統領となり、「奴隷解放の父」と呼ばれた リンカーン が生まれました。

1809年 ダーウィン誕生…生物はみな時間とともに下等なものから高等なものに進化するという「進化論」に「自然淘汰説」という新しい学説をとなえた『種の起源』を著したイギリスの博物学者 ダーウィン が生まれました。

1912年 清朝の滅亡…中国清朝最期の皇帝である7歳の宣統帝・溥儀(ふぎ)が退位して、初代の太祖から12世297年にわたる清王朝の統治が終わりました。なお、溥儀は20年後、日本軍に満州国皇帝にされ、はかない役割をになわされました。その生涯は1987年公開の映画「ラストエンペラー」に描かれ、第60回アカデミー賞作品賞を受賞しています。

1954年 明治から昭和にかけて、日本の科学の基礎をきずき、長岡半太郎と並んでその力を世界に示した物理学者・本多光太郎 が亡くなりました。

1984年 植村直己消息不明…世界初の5大陸最高峰単独登頂をはたした冒険家の植村直己は、北アメリカ最高峰マッキンリーの初厳冬期登山に成功した翌日、消息を絶ちました。この日は、1891年の誕生日でもありました。

1996年 司馬遼太郎死去…『梟の城』で直木賞を受賞した後、『国盗り物語』『竜馬がゆく』『坂の上の雲』など戦国・幕末・明治を扱った作品を数多く遺した作家の司馬遼太郎が亡くなりました。『街道をゆく』など文明批評家としての評価も高いものがあります。

投稿日:2010年02月12日(金) 09:47

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)