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「それでも地球は動いている」 のガリレオ

今日2月15日は、イタリアの物理学者・天文学者で、振子の等時性や落下の法則などを発見するなど、近代科学の父といわれるガリレオが、1564年に生まれた日です。

私たちが住んでいる地球が、太陽のまわりをまわっていることを、だれでも知っています。でも、ポーランドの天文学者コペルニクスが、1543年、『天球の回転について』という論文で、太陽が中心にあって、そのまわりを惑星がまわっている「地動説」を発表するまでは、地球が宇宙のまんなかにあって動かず、太陽もほかの星も、みんな地球を中心にまわっている、という「天動説」を信じていました。

しかし、コペルニクスの「地動説」を、だれも信用するものはいません。これを証明したのがガリレオでした。

ガリレオは、1608年にオランダで発明された望遠鏡をもとに、これに改良を加えて倍率20倍という望遠鏡をこしらえ、毎晩のように星空を観察しました。すると、今まで見えなかったところに新しい星が現れたのがわかりました。

(星が見えたり見えなかったのするのは、地球がうごいているからだ)

それから間もなくして、また、大きな発見をします。金星のみちかけと太陽の黒点です。そんな発見の数々を、学生たちや身近な人たちに話しました。

そして、地動説の正しさを本に著そうとしていたガリレオに、たいへんショックなできごとがおこりました。1616年、コペルニクスの本を読んだり、地動説を唱えることを、ローマ教会が禁止したのです。

ガリレオはしんぼう強く待ちました。16年後の1632年、ようやく著書『天文対話』は出版されるとたちまち評判になりましたが、ローマ教会は、神の名をけがすものだとして、この本を発売禁止にし、ガリレオを宗教裁判にかけることにしたのです。

ガリレオは69歳、リューマチでからだが不自由なうえ、望遠鏡で太陽を見すぎたためか、視力が衰えていました。裁判は3か月にもわたりました。きびしい尋問がつづき、ついには「地球は動かない。地動説はまちがっている」という文に、サインをさせられてしまったのです。

でも、ガリレオは、ふるえるからだの奥からしぼり出すような声で「それでも、地球は、まわっている……」とつぶやいたのでした。

なお、1992年ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世は、ガリレオ裁判が誤りであったことを認めて、ガリレオに謝罪しました。ガリレオがなくなってから350年後のことでした。

ガリレオの詳しい生涯につきましては、いずみ書房のホームページで公開しているオンラインブック「せかい伝記図書館」第5巻「ガリレオ」をぜひご覧ください。
 

「2月15日にあった主なできごと」

1618年 河村瑞賢誕生…江戸の大火事の際、木曾の材木を買い占めて巨富を得、事業家として成功した河村瑞賢が生まれたといわれる日です。瑞賢は、東回り航路や西回り航路を整え、流通経済を発展させたことなどでも知られいてます。

1877年 西南戦争はじまる…西郷隆盛は、私塾の生徒や明治新政府への不満をいだく士族ら1万数千人を率いて鹿児島を出発、熊本城を包囲しました。この乱は、「西南戦争」または「西南の役」などとよばれるわが国最後の内乱でした。戦争は9月24日まで続き、城山に籠城していた西郷らの切腹で終わりました。

1898年 井伏鱒二誕生…昭和期に活躍した作家で、『幽閉』(『山椒魚』)で認められてから、『ジョン万次郎漂流記』『駅前旅館』『黒い雪』など、ユーモアとペーソスあふれる作品を次々に著した井伏鱒二が生まれました。

投稿日:2010年02月15日(月) 09:33

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)