10年以上にわたり刊行をし続けた「月刊 日本読書クラブ」の人気コーナー「本を読むことは、なぜ素晴しいのでしょうか」からの採録、第32回目。
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「おおきなきがほしい」(ぶん・さとうさとる/え・むらかみつとむ 偕成社刊)のあらすじは次の通りです。
かおるの家の小さな庭には、3本の小さな木しかありません。木のぼりもできません。……もしも大きな木があったら、太い幹にもはしごをとりつけて、枝の上にかおるのこやをつくって、こやではホットケーキをやくんだ。木には、リスや小鳥たちがいて、みんななかよし。木のてっぺんの見はらし台からながめると、ずっと遠くまで見わたせて、とってもいい景色……。かおるの夢はどんどんふくらんで、大きな木の絵ができました。そしてつぎの日曜日、かおるは、お父さんと庭に、大きくなる木の苗を植えました。
● どこまでも夢をふくらませることの楽しさとすばらしさ
この本を読んだ子どもたち(小学1〜2年生) は、読書感想文のなかで、いちように自分の夢をふくらませています。それは、「ほんとうにそんな大きな木があったら、どんなにすばらしいだろう」 「そんな木があったら、ぼくなら、こんな家をつくりたい」 という夢です。
「ねっこのところにドアがあって、〈ぼくだよ、こうじだよ〉と言うと、ドアは、しぜんに上へガシャっとあがるんだよ」
「かおるちゃんの、おうちは、はしごだけど、ぼくは、ぼくのうちから、コンセントででんきをとおして、エレベーターをつくりたいなあ。木のみきのなかを、スィーッと、てっぺんまであがるんだ。もちろん、リスやとりも、いっしょに、のせてあげるんだよ」
「わたしの大きな木は、右がわのえだには、年じゅう、くだものがいっぱいなるの。はるは、いちごやもも。なつは、大きくてあまりすいか。あきは、おとうさんのすきな、かき、なし、ぶどう、くり。ふゆは、おかあさんの大すきな、みかん、りんご。それから左がわのえだには、はなが、さくのよ。はるは、なのはな。きいろのはなのまわりには、もんしろちょうが、いっぱいとびまわっているの。なつは、ひまわり。あきは、きく。ひとやすみしていると、とってもいいにおいがするのよ。ふゆは、ゆきのように白いはな。さわると、とっても、つめたいよ」
「ぼくのへやには、マンガの本がいっぱいあるんだ。きっと、リスも、ことりも、よみにくるよ。そしたら、ぼくがホットケーキをつくって、みんなとたべながら、なかよくよむんだ」
「ぼくの大きな木は、かおるちゃんのよりも、もっともっと、たかいんだ。いつもゆれてて、すこしこわいけど、とっても、いいことがあるんだよ。それはねえ、木のまわりへあそびにきた白いくもに、ぼくのこやのまどからのって、とおくへ、あそびにいくんだよ。ことりやリスも、いっしょにのせて、ホットケーキをもってね」
いかがですか、とっても楽しい夢ではありませんか。
この本を読んだ子どもたちの感想の多くは、物語の主人公のかおるちゃんからは、はなれています。そして、ぼくの大きな木、わたしの大きな木のことばかり、楽しく語っています。しかしそれでいいのです。この本にえがかれているかおるちゃんの夢に、心から共感したからこそ、ぼくも、わたしも、自分の大きな木の夢をえがいたのですから。つまり逆に言えば、この1冊の本には、すべての子どもたちに自分の大きな木の夢をいだかせるほどの、文学的な豊かさがあるということです。空想の世界ほど、子どもの心を豊かにするものはありません。同じ1本の木に、かきも、みかんも、すいかさえもならせるように、空想の世界は子どもたちの心を、限られた現実の世界から大きくとび出させます。そしてそれは、自分の心で新しいものをつくり出す、創造にほかならないからです。
この『おおきなきがほしい』は、3〜4歳の幼児に読み聞かせても、目をかがやかせて聞き入ってくれます。砂場で山や川やトンネルを作って遊ぶように、子どもにとっての空想の世界は、文句なしに楽しいものだからです。
「わたしのうちはアパートなので、おおきな木は、うえられません。だから、がようしを12まいもつなげて、おおきな木のえを、かきました」 という子どももいます。この子はその絵をかべにはって、いつもいつも、小鳥やリスたちといっしょの空想の世界を楽しんだのではないでしょうか。山や野の1本の大きな木を見て、特になにも感じない子と、そこに空想の世界をえがける子……このちがいには、はかりしれないものがあります。
なお、この絵本「おおきなきがほしい」は、「絵本ナビ」のホームページでも紹介されています。
http://www.ehonnavi.net/ehon00.asp?no=1939