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杜子春

10年以上にわたり刊行をし続けた「月刊 日本読書クラブ」の人気コーナー「本を読むことは、なぜ素晴しいのでしょうか」からの採録、第17回目。

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「杜子春」(芥川龍之介作) のあらすじは、次の通りです。
杜子春は、仙人鉄冠子の力で2度大金持になる。しかし、金持のときは人がちやほやするが、金がなくなると人は冷たくなることを知り、つぎに鉄冠子が現れると、もう、この世がいやになったから自分を仙人にしてくれとたのむ。ところが、仙人の山へ着くと、どんなこわいめにあっても、けっして口をきいてはならぬと言いつけられて、一人にされてしまう。杜子春は、その言いつけを守り、悪魔におそわれても、地獄へつれていかれても口をきかない。しかし、死んで地獄へ落ちていた親がつれてこられて、むちうたれると、おもわず 「お母さん」 と叫んでしまう。そして、人間らしい心をとりもどして幸福に……。

● 人間らしい心のあり方を考えて
「杜子春」 は、小学校高学年から中学校にかけての子どもたちに多く読まれていますが、ここでは、小学5、6年生の読書感想文をもとに、この作品から子どもたちが学びとるものを、ひきだしてみましょう。
「杜子春」 には、物語としての山が二つあります。一つは、仙人の鉄冠子の力で2度も大金持にしてもらった杜子春が、3度めには 「お金はもういらないのです」 「人間はみな薄情です。私が大金持になった時には、世辞も追従もしますけれど、いったん貧乏になってごらんなさい。やさしい顔さえもして見せはしません。そんなことを考えると、もう一度大金持になったところが、なにもならないような気がするのです」 と、鉄冠子に告げるところです。
そして、二つめの山は、鉄冠子から、仙人になりたいなら 「どんなことが起ころうとも、決して声をだすのではないぞ」 と言いつけられていた杜子春が、悪魔のどんな恐ろしさにも、地獄のどんな苦しみにも耐えてきたのに、目の前で鬼にむちうたれる母の 「心配をおしでない。私はどうなっても、お前さえしあわせになれるなら、それよりけっこうなことはないのだからね。大王が何とおっしゃっても、言いたくないことは、だまっておいで」 という声を聞いては、もうたまらず、はらはらと涙を落としながら 「お母さん」 と叫んでしまうところです。
子どもたちは、この二つの山をとおして、人間の正しい心のあり方、人間らしい心のあり方を考えています。

● 自分自身の心の弱さにも気づく
第一の山のところで 「自分につごうのよいときだけ人を利用する」 人間の身勝手さ、心のみにくさに気づいていた子どもたちは、第二の山で、杜子春が 「お母さん」 と叫んだことに 「あの一言は、この世でいちばん美しい叫びとして、私の心にひびいた」 「私は、あの叫びに人間をみつけた」 などと感激をもらし、自己犠牲の美しさに心を動かしながら 「自分のことだけを考える人間は人間ではない」 ということを深くかみしめるのです。
また、子どもたちは、杜子春が、自分の力でまじめに働こうとはせず、仙人鉄冠子の力で金持になってよろこび、あげくのはてには、この世から逃げて仙人になろうとしたことについても考え、この杜子春自身の身勝手さにも批判の目をむけています。そして、最後に、杜子春が 「お母さん」 と叫んで仙人にならずに人間らしい生き方を求めるようになったことを 「ほっとした」 と、よろこんでいます。小学5、6年生の子どもたちにも、人間が自分で努力をしないで、自分だけ、いやなことから逃げることのおろかさが、はっきり理解できるのです。
以上のほか、子どもたちは、もう一つ、すばらしいことを読みとっています。それは、大金持のときだけ杜子春を利用しようとした町の人びとの、心のきたなさ、あるいは、努力もしないで自分だけ仙人になって楽をしようとした杜子春の、心の弱さは 「きっと、だれにでもある、自分の心にもあるのだ」 ということ。子どもたちは、口をそろえて 「人間は、ほんとうは弱いのだ。だから、その弱さに負けないように、いつも努力しなければいけないのだ」 と、自分に言い聞かせています。そして、弱い心からでる身勝手な友だちづきあいをふり返って 「自分のつごうのよいときだけ仲よくし、その人の困っているときや、みじめなときは、さけようとする。これは、ほんとうの人と人のつきあいではない」 と、反省しています。
「杜子春」 という、たった一つの短編から、子どもたちは、なんと多くのことを学ぶことでしょう。人から教えられるのでもなく、親から教えられるのでもなく、自分ひとりで 「これからの自分の生き方にたいせつなもの」 を学んでいく……。だから、読書は、なににもまさる自己教育の場だといわれるのです。

なお、この作品の原文は、「青空文庫」で読むことができます。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/170_15144.html

投稿日:2006年04月19日(水) 09:14

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)