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80日間世界一周 5

1987年に刊行した英国レディバード社とのタイアップ企画第3弾、「レディバードブックス特選100点セット」のうち、フランスの作家ジュール・ベルヌ(18428-1905)の「80日間世界一周」の第5回目。

●「80日間世界一周」全文 その5


80日間13


パスパルトゥーは自分の船室に連れてこられ、そこですぐまた寝こんでしまいました。目が覚めたとき、彼は主人を探していました。しかし、フォッグとアウダは乗船していませんでした。やっとフィックスにだまされたことに気づいたパスパルトゥーは、ひどくみじめな気持になりました。
主人が乗船しなかったのは自分の過失なのです。もし、フィリアス・フォッグが時間どおりにロンドンにもどるのに失敗し、賭けに負けたら、責めを負うのは彼、パスパルトゥーなのです。
一文なしで1人さびしく、パスパルトゥーは横浜に上陸しました。通りを歩きながら、彼はロンドンまで帰るのにどうやってお金をもうけようかと考えていました。そのとき、英語で書かれたポスターが彼の目をとらえました。それには、こう書かれていたのです。

[世紀のショー ピエロにアクロバット 手品師 今夜!]

「これだ!」 彼は思いました。「アクロバットの仕事をやってみよう」 パスパルトゥーはまっすぐ劇場へ入っていきました。
「ああ、がんじょうな男なら、使ってもいい」 アクロバットのリーダーの男が言いました。「人間ピラミッドを支える男がほしかったのだ。あおむけに寝てもらって、他の男があんたの上でバランスをとる」
3時にそのショーは始まりました。太鼓の音とともに50人のアクロバットたちが舞台におどり出ました。パスパルトゥーは横になり、その上で他の男がお互いに組合わさってバランスをとりました。人間ピラミッドがどんどん高くなるにつれて、観客はかっさいし、楽団は演奏しました。あおむけになったとき、パスパルトゥーは劇場の中を見ることができました。そして彼は、上の桟敷席でフォッグとアウダの姿をみつけたのです!


80日間14


「旦那様!」 パスバルトゥーは喜んで叫びました。自分の上の男たちを押しのけたので人間ピラミッドは総くずれになりました。彼は一目散にステージを降りて、離ればなれになっていた主人とアウダのところへかけよりました。劇場は騒然となりました。アクロバットたちは怒り狂いました、しかし、フォッグは召使がみつかったので喜び、彼らをしずめ、手いっぱいの札束を与えてその場をおさめました。
3人はそろって、太平洋を渡ってアメリカに行く汽船に乗りこむために波止場へと向かいました。フォッグは召使に、彼とアウダ、そしてフィックスがどのように日本にたどり着いたか話しました。パスパルトゥーも、アヘンを吸っていたために彼らを見失ってしまったことを話しました。が、彼は刑事に会ったことは話しませんでした。
汽船は時間どおり、サンフランシスコに向けて出航しました。「これまでまったく順調だ」フィリアス・フォッグは言いました。「この分だと時間どおり、リフォームクラブにもどれるだろう」
パスパルトゥーは喜びました。彼は主人とアウダのうしろについていました。フォッグ氏がまだ賭けに勝っていて、ついにフィックスから解放されたように思われました。彼はまた刑事のことを主人に話さなくてよかったと思いました。明らかに何かのまちがいだったのだ、でも、もうあいつのことは心配する必要はあるまい、と彼は思いました。


80日間15


パスパルトゥーは甲板の上を散歩しながら、もとの陽気な自分にかえっていました、それが、角を曲がったところでフィックスとはち合わせになるとは! 何も言わずにフィックスに向かっていくと、彼は何発もパンチをおみまいし、フィックスをなぐり倒してしまいました。
「だまされたお返しだ」 彼は大声をあげました。「今度だましてみろ、首をへしおってやる」
賢明にもフィックスは、残りの航海の間パスパルトゥーたちの目につかないところにいました、そして11日後船はサンフランシスコに入港しました。
その夜、彼らは3786マイル先のニューヨークに向かう列車の中にいました。7日間で、列車は太平洋岸から大西洋岸へと向かうことになっていました。彼らにはあと18日間が残されていました。
すべてがうまくいっている、とフォッグは思いました。おどろき、そしてうれしいことに、フィックスがまた列車に同乗していたのです。パスパルトゥーは、おどろきもうれしがりもしませんでした。
夜どおし列車はロッキー山脈を、濁流の川の上を汽笛をあげながら走り続けました。そして平原を横切っていたところでした。何千頭もの大きな野牛が線路をぎっしり走りぬけるところにぶつかり、突然列車は止まってしまいました。野牛の群は、何時間もまるで目の届くかぎりのびていく茶色の川のように、列車の前を通りすぎていきました。

投稿日:2006年02月17日(金) 09:24

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)