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80日間世界一周 1

1987年に刊行した英国レディバード社とのタイアップ企画第3弾、「レディバードブックス特選100点セット」の項は前回で終了する予定だった。しかし、はじめて全文を紹介した「幸福の王子」は好評で、要約より面白いという声に応え、もう一編、フランスの作家ジュール・ベルヌ(18428-1905)の「80日間世界一周」の全文を何日かに分けて掲載してみることにする。この作品が発表されたのは1873年、飛行機はまだ存在せず、ようやく汽船が海をわたるようになった時代のこと。80日間で世界一周をしてみせると賭けをしてロンドンを発ったフォッグだか、次々に現れる難問が行く手を阻む。

●「80日間世界一周」全文1


80日間1


フィリアス・フォッグは、なぞの多い人物です。2、3の簡単な事実以外、だれも彼について何も知りません。フォッグは家族もなく、ロンドンにある大きな家に住んでいました。フォッグは金持でしたが、家には身のまわりの世話をするひとりの召使だけしかいませんでした。
フォッグは、とても正確な習慣の持主でした。家の中に1枚の時間表がつるしてありました。それには、フォッグが毎朝かっきり8時23分にお茶とトーストの食事をとることを示していました。
9時37分には、召使に華氏86度ちょうどに温められたひげそりの湯を持ってこさせました。毎日、11時30分かっきりにフォッグは家を出て、リフォーム(革新)クラブに行きます。
フォッグは、クラブで読書をしながら1日をすごしました。それから、 6時10分ちょうどにトランプ遊びを楽しみ、その後、毎晩きまった時刻に家にもどりました。トランプ仲間たちは、顔立ちの整ったフィリアス・フォッグが、もの静かな魅力ある人物であることを認めていました。仲間たちは、フォッグがお金に決して興味を示さないことにも気がついていました。
トランプで勝ったお金も、フォッグは慈善団体に寄付したのです。これらわずかの簡単な事実は、すべてだれでも知っていることでもありましたが、フィリアス・フォッグにとってほとんど悲劇的に終るにちがいない賭けは、どのようにして始まったのでしょうか。それは、このようなことが起ったからなのです……。


80日間2


1872年の10月2日、新しい召使がフィリアス・フォッグのもとで働くためにやってきました。彼はジーン・パスパルトゥーという名のフランス人でした。パスパルトゥーは、これまでたくさんの仕事を体験してきました。パリでは消防夫、歌手、サーカスのアクロバットまでやりました。彼は強く、しかもやさしく、おまけにしあわせそうな微笑みのある顔のために、彼の行くところどこでも人気者になりました。仕事から仕事を転々としてきた後、パスパルトゥーの望みは、今や身を落ち着け、静かな生活をすることでした。パスパルトゥーにとって、フィリアス・フォッグは求めてきた、またとない主人そのもののようでした。
その日の11時30分、ジーン・パスパルトゥーは仕事を始めました、いつものように、フィリアス・フォッグはリフォームクラブへ出かけました。フォッグはその日も読書ですごし、それから6時10分に、いつものようにトランプ遊びの仲間に会いました。みんなは、興奮しながら銀行泥棒について話をしていました−イングランド銀行から5万5千ポンドが盗まれたばかりだったのです。泥棒は札束をとりあげると、何げないようすでそれを持って出ていきました。5、6人が泥棒を見ていて、人相がきが手配されました。懸賞金が捕えたものに支払われる旨の表示があり、刑事は、国外への泥棒の逃亡をとどめるために、鉄道の駅や港を監視していました。
クラブの仲間はトランプ遊びに興じながら、銀行泥棒がうまく隠れる場所があるかを話しました。みんなは、泥棒が追跡を逃れてすみやかに国外へ逃れるかどうかいぶかりました。
「世界は、かくれるにはじつに広いですぞ」 1人が言いました。
「そうですな」フィリアス・フォッグは同意しました 「しかし、今や我々には電報も、鉄道も、汽船もあります、世界はどんどん狭くなってきましたぞ」
「世界が縮んでいるわけではないでしょう」 仲間の1人が言いました 「なぜなら、我々が世界をひと周りするには、ゆうに3か月はかかりますからね」


80日間3


「3か月なんてかかりませんよ」フォッグは言いました。 「80日間で世界一周できます」
「80日間だって? そりや、不可能だ」 もう1人が笑いました。
「考えてもみたまえ、そりゃ、だめだね」 3人目の男が言いました。
「いいえ」 フィリアス・フォッグは叫びました。「私は、それができることがわかってます。私はそれに2万ポンドを賭けてもいいですよ。それを証明するために今夜出かけましょう。私は80日間で世界をひと周りしてみせます」
「きみ、冗談だろ」 「今夜出かけるなんて、できやしないよ」 「そんなこと、絶対だめだ」 仲間たちは、口ぐちに叫びました。
「私はやります」 フォッグはもの静かに言いました。「英国人というのは、こういう賭けをするときには冗談を言わないものです。あなたがたは、この賭けに応じますかな」
「もちろんだとも」 仲間たちは 「やりましょう」 と、同意しました。
「よろしい」 フォッグは続けました。「今日は、10月2日水曜日です。私はここリフォームクラブへ、12月21日土曜日の8時45分にもどってきましょう。さて、諸君、それでは、トランプゲームをこれでおわりにしましょう」
家にもどると、フィリアス・フォッグは、彼の召使を呼びました 「パスパルトゥー! 小さなバッグに旅行に必要なものをつみこみなさい。我々は、10分以内にドーバーへ向けて出発する。世界一周に出かけるのだ」
「世界一周ですって?」 パスパルトゥーはあえぎながら言いました。
「そう、世界一周だ」 フォッグは答えました。「我々は、ただちに出発する!」
「そんりゃ、すんばらしいことで……」 みじめなパスパルトゥーは、バッグに荷物をつめこみながらぶつくさ言いました。「わしの求めていたのは、静かな生活だったのになあ。わしは、気違いじみた冒険にでかけようとするご主人様を持っちまった!」

投稿日:2006年02月13日(月) 16:46

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)