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80日間世界一周 4

1987年に刊行した英国レディバード社とのタイアップ企画第3弾、「レディバードブックス特選100点セット」のうち、フランスの作家ジュール・ベルヌ(18428-1905)の「80日間世界一周」の第4回目。

●「80日間世界一周」全文 その4


80日間10


パスパルトゥーは、船上でふたたびフィックス刑事に会ったのでびっくりしました。彼は、フィックスは、リフォームクラブから自分たちを見張るように派遣されたスパイではないかと疑いはじめました、でも、フィリアス・フォッグには何も言いませんでした。
激しい嵐にもかかわらず、一行は、次に乗るカーナティック号が日本の横浜へ向けて出航する16時間前に、香港の港に到着しました。フォッグは、アウダの従兄弟を探すために、アウダといっしょに急いで町へ出ていきました。ところが、アウダはとても落胆していました、親戚は香港を去って、今はオランダに移り住んでしまったということだったからです。
「私たちといっしょに、ヨーロッパへいらっしゃい」 フォッグは、そうアウダに勧めました。
その間、パスパルトゥーも香港の町なかをぶらぶら歩いていました。ひどくびっくりしたことに、彼はまたフィックスに会ったのです。
「あなたも日本にお行きなさるんで」 と、パスパルトゥーはたずねました。
「そうなんです」 刑事は彼に言いました。そこで、2人はいっしょに、横浜行きの船の切符を買いに行きました。切符売り場で、2人は船が予定より早く出発することになったことを知りました。
「今夜出られるなんて、旦那様はさぞお喜びになることでしょう」 パスパルトゥーは言いました。「急いで知らせにいかなきゃ」
「時間はたっぷりありますよ」 ずるがしこい刑事はそれを止めました。
「いっしょにワインでも一杯飲みましょう」
ワインを飲みながら、フィックスはついに自分が刑事であることをパスパルトゥーに明かしました。「あなたのご主人はね」 彼は言いました 「逃亡中の銀行泥棒なんですよ。捕まえるのに協力してくださったら、賞金をお分けしますよ!」


80日間11


「ばかばかしい!」 パルパルトゥーは叫びました。「旦那様ほど正直な方はいません。あんなすばらしい人を裏切ったりできるものですか。絶対にないです」
「何もごぞんじないのですね」 忠実なパスパルトゥーにフィックスは言いました。「でも、仲よくしましょう」 フィックスは続けました。「さあどうです、もう1杯」
ふたたび2人はお酒を飲みました。 哀れなパスパルトゥーの頭がクラクラしはじめました。フィックスはこの召使の手にパイプを渡しました。パスパルトゥーはアヘンを吸っているとは気づかずに、何回かそれを吸いました。まもなく彼は麻酔にかかって眠ってしまいました。
フィックスは静かにその場を立ち去りました。さあ、カーナティック号はフォッグと召使を乗せずに出航しようとしている! あと逮捕状さえ届いていれば! そうしたらフィリアス・フォッグを捕えて賞金はおれのものに!
フォッグとアウダは、パスパルトゥーがもどってくるのを待ちました。
彼が来なかったので、2人は船着き場まで急ぎました。パスパルトゥーは、そこにもいませんでした。そのかわりフィックスをみつけ、彼からカーナティック号がもう出港してしまったことをきかされました。
「それなら」 フォッグは言いました 「別の船を捜さなければなりませんな」


80日間12


刑事の心は沈んでしまいました。ついてないと思いました、まだ逮捕状が届いてなかったからです。
すぐにフォッグは小さな船の船長をみつけ、上海まで行くのを承諾してもらいました。上海で横浜行きの汽船に乗ることができるときいたのです。
「あなたもカーナティック号に乗りそこねたのですな」 フォッグはフィックスに言いました。「よろしかったら、いっしょに行きませんか」
フィックスは喜んで承知しました。銀行泥棒の親切心のおかげで、刑事はまだ彼を見張ることができるのです。
フォッグは町役場に行って、パスパルトゥーを捜してもらうように頼んでおきましたが、やはりだめでした。フィックスはずっとだまっていました。船がいよいよ出港するというのに、フォッグとアウダは、2人の忠実な召使を連れずに悲しく去らなければならないのでした。
香港を出港して2日目に悪い天候にみまわれ、台風が吹き荒れはじめました。大きな波が船にすさまじくぶつかってきます。台風に吹きつけられて、船はきしみ、揺れました。それから、中国領の海岸に近づくと風は止みました。貴重な時間が失われ、上海まで、まだ100マイルもありました。
船長は全速力で前進するように命じました。そして上海の海岸が見えてきたちょうどそのとき、大きな別の汽船が彼らの方へやってくるのが見えたのです。
「遅すぎた!」 船長は叫びました。「あれが横浜行きの船です」
「信号を出してください」 フォッグは命令しました。
大きな汽船が速度をゆるめると、小さな船はそのそばに並びました。そして、アウダ、フィリアス・フォッグ、それにフィックスは汽船に引き上げられました。彼らが小さな船の船長に別れの手を振ると、大きな汽船は横浜への航海に向かって動きだしました。
「パスパルトゥーが私たちといっしょでいてくれたならば!」 と、アウダは言いました。
誰も知らないことでしたが、パスパルトゥーも、もうすでに日本に向かっていたのです。フィックスから渡されたアヘンのおかげでまだ眠かったのですが、彼はやっとのことで波止場までたどり着きました。そして、船乗りにちょうど出港するところだったカーナティック号へと引き上げてもらったのでした。

投稿日:2006年02月16日(木) 15:58

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)