J・チェーンの倒産により、これまで制作に協力してくれていた印刷、製本業者とのつながりは絶つことになったが、「捨てる神あれば、拾う神あり」のことわざ通り、新たな協力業者がほどなく現れた。絵本の製版を手がけてくれていた静岡市のN社の社長に、窮状を嘆いたところ、気の毒に思ってくれたのだろう。地元の印刷業者を連れて上京してくれた。私は、当社の経営状態は決して楽ではないことを正直に打ち明けた。しかし、新たな販売組織が出来はじめていることも、具体例をあげて説明し、熱意をこめて協力を要請したのだった。以来、当社の絵本シリーズの製版はすべてN社にお願いしてきた。そして、今も「いずみ通販カタログ」の製版はN社に発注している。そのおつきあいは30年近くになるが、時代時代にあわせた設備投資をしながら、その製版技術はいつも超一流であることに感心すると共に、リーズナブルな見積りに助けられている。
W氏は、私が同行させてもらってから1週間もたたないうちに、それまで扱っていた出版社のセールス・マネージャーを辞め、当社ひと筋でセールスをすることを決断してくれた。フランチャイズ方式による販売組織の話をすると、すぐに乗ってきて、神奈川県すべてをやらせてほしいという。神奈川県は人口が多いので、3地区分の保証金が必要だといっても、1地区の月間ノルマが30セット程度なら、3地区分なぞひとりだってこなせる数字だという。
最終的に認可することになったが、実は、J・チェーンの横浜市内在住の加盟店候補にK・I氏がいた。本音をいえば、W氏には川崎地区の支社長を、K・I氏に横浜地区の一部をと思ったが、この販売組織をこしらえるキッカケを作ってくれたW氏をないがしろにするわけにはいかない。結果的にW氏は神奈川県全域を、K・I氏は、転居して千葉県木更津市に東千葉支社を開設することになったが、フランチャイズ制をとることによるメリットとデメリットがあること、本部が行司役をしっかり行わないと、組織に亀裂がおこるということを、わずかの期間で体験することとなった。
こうして、1976年の年末までに、いずみ書房独自のフランチャイズ販売組織は、K氏の栃木支社、Y氏の長野支社、W氏の神奈川支社、K・I氏の東千葉支社でうぶ声をあげ、少しずつ業績を伸ばしていくことになる。