あの日の出会いから3日後、W氏は約束通り私を同行して、セールスの現場を見せてくれた。セールスマンというのは、ふつう、仕事の現場を人に見せるのをいやがるものだが、幸いW氏は人が同行しても一向に苦にならないという。むしろ、人がいることによって張り合いも出るし、「今日は新人を教育中ですから」とお客さんにいうことによって、真剣に聞いてくれることが多いという。
私は、小型テープレコーダーを手に、W氏のうしろについて、話す言葉の一字一句も逃さないように聞き耳を立てた。W氏は、子どもの多くいそうな公団住宅や社宅で仕事をするのが性に合うらしく、好んでそういう集合住宅をセールス現場に選ぶという。
「ポケット絵本のねらい」という私の書いた冊子の内容も熟読してくれたようで、営業トークの中にうまく取り入れていたのはさすがであった。商品の内容も、一冊一冊丁寧に読みこんでくれている。原作、原話に忠実に作られている特長は、日本人なら誰でも知っている「桃太郎」を例にあげて、次のようにお客さんの関心を高めていた。
この「ももたうう」をご覧下さい。絵でなくって写真みたいねっていわれるんですけど、すごく細かく描かれてますでしょう。「ももが、どんぶらこ・どんぶらこと流れてきて、ももたろうが生れて、おじいさんおばあさんが大事に育てて、一人前の青年になって、いまから鬼が島へ・・・。犬が出てきて、さるが出てきて、きじが出てきて・・・」。
市販されている絵本ですと、犬もさるもきじも、一度に出てくるのが多いんです。これは大事なところですよね。犬が出てきて、「ももたろうさん、ももたろうさん、おこしにつけたきびだんご、1つ下さい、おともします」それからさるが出てきて、それからきじが、と3度くりかえすことによって、子どもたちをぐいぐい物語に引きこんでいきます。この「ポケット絵本」は、この「ももたうう」を例にとりましても、一人前になるまでの過程がこまかくかかれていますし、犬・さる・きじの登場にも、それぞれ見開きページがつかわれていますでしょ。鬼たいじのシーンも、作戦を練って実行するまでが、とても細かくかかれています。このように、どの巻をとっても物語自体が飛ばされていない、つまり省略されていないわけです。
余談になりますけど、ブーツをはいてサングラスをかけた「ももたうう」の絵本だとか、おばあさんが電気洗たく機で洗たくしている「ももたろう」なんかさえあるんですから、面くらってしまいますよね。
子どもというのは、もう2、3歳になりますと「だからどうなの」「なぜ」「どうして」というような質問をどんどんしてきますでしょ。たとえば「ももたろうはどうして鬼たいじにいくの」という質問をされてこまったというお母さんがいらっしゃいましたが、この本では鬼たちが作物をぬすんだり村人にらんぼうしたりしてこまっていることが、きちんと語られています。そういうお子様の疑問に充分こたえられるように心を配っているわけです……。
W氏の自宅は川崎市にあるということで、この日のセールス現場は品川区にある公団住宅だったが、午前中に2オーダー、午後1オーダー、計3オーダーの契約に立ち合わせてもらった。実質的な営業時間は、わずか3時間程度だった。W氏は長い営業経験から、「この絵本シリーズには商品力があります。うまくはまると1日10オーダーあげることだって夢じゃないですね」と断言してくれた。これは私にとって実にうれしい言葉だった。というのも、これまで私が手がけてきた営業法は、ほとんどが保育園や幼稚園を通じて園児のいる家庭へ、パンフレットにあいさつ状を添えて案内してもらい、全巻の予約を取るという方法でしかなかったからだ。こんなふうに家庭へ直接売りこむことができれば、全国へ大きく市場を広げることも不可能ではない。