「何か困ったことがあったら、職業別電話帳を最初から最後までめくってみることだ。何らかのヒントがあるはず。あの分厚い電話帳には、ありとあらゆる業種がくまなく入っている上に、連絡先まで教えてくれているのだから・・・」。社会思想社の編集部にいたころ、著者だったT氏の言葉を思い出していた。T氏はあるテレビ局のディレクターをやっていて、主として当時の若者の実態をドキュメンタリー番組にすることで定評を得ていた。私はT氏と組んで、タイプの違うさまざまな若者たち100人の行動を分析することで、若者を読者の中心にする教養文庫シリーズの将来への方向性をさぐりたいと考えていた。編集作業に携わる中で、T氏から欲しい情報の集め方、自分のやりたいことを遂行するための方法論など、彼のノウハウを具体的にいろいろ教わった。はじめの言葉もその付き合いの中で教えてもらったことのひとつだった。
電話帳をこうでもない、ああでもないとめくるうち、「日本遊戯協会」という1行に目が留まった。何をするところなのだろう。当たってくだけろとばかりに電話をして、文庫判の童話シリーズを刊行する当社の内容をかいつまんで紹介したところ、担当者が会って話をしましょうという。山の手線「市ヶ谷駅」から細い坂を上る途中に、その事務所はあった。何とこの協会は、パチンコの景品を取り扱う団体の事務局だった。あきらめて退散しようとすると、担当者が上司をつれてやってきた。パチンコの景品というのは正直いってあまり評判のよいものではない、でも最近神保町にあるパチンコ屋さんが、文庫本を景品にしたところ、学生たちに大評判になったという。確かにそのことが話題になっていたことは新聞報道で知っていた。「この前の理事会で文庫本のことで盛り上がりましてね。次の理事会に御社の童話シリーズの提案をしてみますから、見本を3部ほど送ってください」という。
まもなく開かれた理事会で、父ちゃんがパチンコで遊んで、おみやげに子どもに童話を持って帰るというのは何ともほほえましい、ということになったそうだ。事はとんとん拍子に進んで、それから間もなく、景品を専門に取り扱う商社から5000セットの注文が舞い込むことになった。これで、第3集を刊行できる資金が入手できたのである。
なおT氏とは、「朝まで生テレビ」「サンデー・プロジェクト」の司会などでおなじみの評論家、若き日の田原総一朗氏のことである。