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「スペイン独裁」 とフランコ

今日11月20日は、「スペイン内戦」に勝利してファシズム国家を築き、一党独裁政治を続けたフランコが、1975年に亡くなった日です。

1892年、スペイン北西部ガリシア地方の造船と海軍基地の町フェロルに、海軍士官の子として生まれたフランコ・バアモンデは、1907年、トレドの陸軍士官学校に入学しました。1910年卒業後に少尉となり、独立運動が展開されていたスペイン領モロッコに派遣され、この地で5年間、原住民ベルベル人の独立を求める反乱の鎮圧に当たりました。その功績で陸軍少佐に昇進し、帰国後は、サラゴサの陸軍士官学校の校長を務めました。

1931年スペインに第二共和政が成立すると、重要な職から遠ざけられるものの、1934年10月に右翼の内閣が成立し、左翼政党がこれに抗議してゼネラル・ストライキを呼びかけると、フランコはアストゥリアス地方でゼネストに決起した鉱山労働者を武力で鎮圧、この功績により翌1935年、陸軍参謀総長に任命されて、軍隊内部の自由主義者を圧迫しました。

1936年2月の総選挙で、左翼勢力を中心とする自由と改革をめざす人民戦線内閣が誕生すると、参謀総長を解任され、カナリア諸島総督に左遷されました。人民戦線政府は社会主義的理念に基づく改革を実行し、教会財産を没収して、ブルジョワを弾圧しました。これは農民層に支持されるいっぽう、地主や資本家、カトリック教会などの保守勢力や知識層と対立しました。

同年7月スペイン領モロッコと本土で、軍隊が反乱を起こすと、フランコはモロッコに飛んで反乱軍を指揮し、本土マドリードに向けて進撃すると、保守勢力が反乱軍を支援したことで、この反乱はスペインを二分する大規模な内戦に発展しました。やがて反乱軍の中心は、戦功のあるフランコと、戦前から人望が高かったモラが人気を二分するようになるものの、モラが飛行機の墜落事故で死亡すると、フランコが反乱軍の指導者としての地位を固め、10月にはブルゴスに反乱軍政府をもうけました。翌1937年には独裁政党ファランヘ党を作り、1938年1月に正式に内閣制度を導入して「スペイン内戦」を終結させ、フランコはスペインの国家元首兼首相に就任。ドイツやイタリアの支援を受けるものの第二次世界大戦には参加せず、強大な権限を持って、内戦で疲弊した国家の再建に取り組みました。

結果としてスペインは、世界大戦中に「中立国」としてふるまったことで、自国や植民地の戦禍をまぬがれるものの、アメリカを中心に連合国側に不信感を持たれて孤立しました。1947年には、フランコの国家主席は終身であること、死後は王政を復活させるという法律を定めました。

1953年には、冷戦に対応するために強硬だったアメリカに軍事基地を貸す協定(米西防衛協定)を締結、これが評価され、1955に国連加入が認められ、国際社会に復帰しました。

その後も、民主化をのぞむ声をおさえこんでフランコの独裁政治は生涯つづき、死の2日後、法律での定め通り、ブルボン家のファン・カルロスが国王に即位、スペインは王政に復帰したのでした。


「11月20日にあった主なできごと」

1179年  後白河法皇を幽閉… 平清盛は、院政を行なっていた後白河法皇をこの日、鳥羽殿に幽閉。まもなく孫を安徳天皇にして、平氏の独裁体制を築いていきました。

1858年  尾崎行雄誕生…明治・大正・昭和の3代にわたり、憲法に基づく議会政治を擁護し、清廉な政治家として活躍した尾崎行雄が生まれました。

1910年 トルストイ死去…『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』『復活』などの長編小説や随想録『人生読本』で名高いロシアの作家トルストイが亡くなりました。平和主義者としても知られ、『イワンの馬鹿』など民話の再話も有名です。

1945年 ニュールンベルク裁判開始…第2次世界大戦の戦犯を裁く国際軍事裁判が、アメリカ、イギリス、フランス、ソ連から選ばれた裁判官のもとに、ドイツのニュールンベルクで始まりました。この裁判で史上初めて「戦争犯罪」という考え方が明確に打ちだされました。

2001年 イチロー大リーグMVP獲得…アメリカの大リーグマリナーズに移籍1年目のイチロー外野手は、日本人初のMVP(最優秀選手)に選ばれました。あわせて、新人王、盗塁王、アメリカンリーグ首位打者、ゴールドグラブ賞にも輝く活躍でした。
投稿日:2014年11月20日(木) 05:43

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)