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「海外貿易の先駆者」 銭屋五兵衛

今日11月21日は、江戸時代後期に、加賀国(石川県)の海運業者で巨万の富をえた銭屋五兵衛(ぜにや ごへえ)三代目が、1852年に亡くなった日です。

1774年、いまの金沢に生まれた五兵衛(幼名・茂助)は、祖先が両替商を営んでいたために「銭屋」とよばれ、1789年に家督をついだことで三代目銭屋五兵衛となりました。両替商をはじめ醤油製造業、呉服・古着商をてがけ、1811年には加賀藩の認可を受けて海運業にも乗り出し、北前船(きたまえぶね)という廻船の繁栄とともに全国34か所に支店をもうけ、千石以上の持ち船20隻を含む200隻も所持していました。

そのやり方は、米の売買を中心に、蝦夷地(北海道)からニシンのしめかす、昆布などの海産物や大豆類を、津軽南部地方から木材などを買入れ、これを上方(大坂・京都など)で売り、上方で仕入れた木綿、紙、砂糖、畳表などを蝦夷や東北地方で売るというものでした。当時の商売の記録は、五兵衛の手記『年々留』に詳細に記されています。

さらに、天保年間(1830〜43)には、加賀藩の執政だった奥村栄実(てるざね)に重く用いられ、藩が所有する商船の管理人となって、巨万の利を得ました。ところが奥村が亡くなったことで、改革派と対立するようになりました。1850年に河北潟の干拓・開発工事を請け負うものの、難工事の上に地域住民の妨害などにより工事は遅れ、完成をあせって埋め立てに石灰を使いました。毒ではないものの魚が窒息死したのを見た住民に、「毒を流した」といいたてられ、五兵衛は息子たち11名とともに投獄されて五兵衛は獄死、一族も処刑されて銭屋は絶えてしまったのでした。

なお、銭屋五兵衛は、外国との密貿易を行っていたということでもよく知られています。当時は鎖国体制下にあり、外国との交易は厳禁されていたものの、海外交易の必要性を痛感してい銭屋は、蝦夷地・択捉島・樺太でロシアと通商したほか、朝鮮、香港、アメリカ、オーストラリアなどと密貿易をしていたといわれており、確証はないもののある程度までは事実だったようです。

なお、歌舞伎に銭屋を主人公にした『銭屋五兵衛』『銭屋五兵衛父子』『海の百万石』などがあります。また、金沢市には「石川県銭屋五兵衛記念館」があります。


「11月21日にあった主なできごと」

1481年 一休死去…形式化した禅宗と僧侶たちを厳しく批判し、世間的な常識に真っ向から対立する奇行と人間味あふれる狂詩で世を風刺した室町時代の名僧・一休が亡くなりました。

1724年 近松門左衛門死去…江戸時代中期に人形浄瑠璃(じょうるり)や歌舞伎の作者として活躍した近松門左衛門が亡くなりました。
投稿日:2014年11月21日(金) 05:15

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)