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「地下鉄の父」 早川徳次

今日11月19日は、東京地下鉄道(のちの帝都高速度交通営団・東京地下鉄)を創業し、日本初の地下鉄(浅草〜上野間)を開業させた早川徳次(はやかわ とくじ)が、1942年に亡くなった日です。

1881年、今の山梨県笛吹市の旧家に村長の子として生まれた早川徳次は、旧制甲府中を経て第六高等学校(今の岡山大)に入学したものの、2年の時に病気で中退、その後上京して早稲田大法科に入学して政治家をめざし、在学中から後藤新平の秘書になりました。卒業後も、後藤が総裁を務める南満州鉄道(満鉄)に入社して秘書をつづけ、後藤が逓信大臣と鉄道院総裁に就任すると満鉄から鉄道院に入局しました。

やがて東武鉄道の2代目社長になった根津嘉一郎と出会い、見込まれて、経営難に悩む栃木県の佐野鉄道、大阪府の高野登山鉄道の経営を任せられると、ともに短期間で立て直して、根津の期待に応えたのでした。

1914年に国際事情視察のために欧州を訪問の途中、ロンドンの地下鉄の発達ぶりに衝撃を受け、これからは東京の交通混雑の解消のためには、地下鉄が必要だと考えるようになり、帰国後すぐに、交通量調査や地盤調査を開始し、鉄道省や自治体に建設を働きかけました。しかし、早川の先見性はほとんど理解されませんでした。

あきらめきれない早川は、根津の支援と、財界の大物渋沢栄一にバックアップされて東京地下鉄道を設立、1919年にようやく地下鉄建設の許可を得ることに成功しました。ところが、第一次世界大戦後の不景気に加え関東大震災による打撃による資金難など、数々の困難を乗り越え、計画の4分の1に当たる浅草〜上野間の地下鉄工事を、1925年9月に開始しました。やがて難工事のすえ、1927年12月30日に浅草駅から上野駅まで、2.2kmながらも、わが国初の地下鉄を開業させました。

開通当初はもの珍しさから多くの乗客が殺到したものの、少しずつ乗客が減り出し、不景気が重なって経営難におちいりました。これにめげず、地下鉄構内に店舗を配置して収入を増やしたり、定期券利用の通勤客向けに新聞の夕刊を駅入場時に受け取れるサービスを発案したり、駅とデパートを直接出入りできるようにする代わりにデパートから建設費用を出してもらうなど、工夫をこらして乗り越えました。

こうして1934年6月には、念願の「浅草〜新橋間」を全線開通させ、都市交通として機能するようになりました。さらに、新橋から品川、さらに郊外鉄道への乗り入れをする大構想を持っていましたが、東急の総帥五島慶太率いる東京高速鉄道との争いに敗れた早川は故郷の山梨へ帰りました。生家の庭に、青年を育成するための道場を作る計画を立てましたが、その建設中に亡くなってしまいました。


「11月19日にあった主なできごと」

1805年 レセップス誕生…地中海と紅海を結び、インド洋へとつながる海の交通の要となるスエズ運河を建設したレセップスが生まれました。
 
1827年 小林一茶死去…江戸時代後期の俳人で、子どもや動物、自然を愛して素朴な歌を読み続けた小林一茶が亡くなりました。

1828年 シューベルト死去…『ぼだい樹』『野ばら』『アベ・マリア』など600曲以上もの歌曲、『未完成交響曲』などの交響曲や室内楽曲、ピアノ曲などを作曲したシューベルトが亡くなりました。
 
1956年 東海道本線全線電化…米原〜京都間がこの日電化され、東海道本線が全線電化。電化完成により、東京・大阪間を走る最速特急が7時間半となりました。これを記念し、1964年からこの日を「鉄道電化の日」としています。
投稿日:2014年11月19日(水) 05:53

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)