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「創価学会」 と牧ロ常三郎

今日11月18日は、日蓮の教えを信奉し、その実践をめざす集団「創価教育学会」(のちの創価学会)を結成した牧ロ常三郎(まきぐち つねさぶろう)が、1944年に獄死した日です。

1871年、今の新潟県柏崎市に生まれた牧ロ常三郎(本名・渡辺長七)は、両親の離婚により1877年親類の牧口家の養子となりました。1885年に尋常小学校を卒業後、職を求めて単身北海道へ渡り、小樽警察署の給仕などをしながら苦学の末に、1893年北海道尋常師範学校(今の北海道教育大学)を卒業して常三郎と改名し、母校の付属小学校教師となりました。教育の実践や理論の両面に活躍するかたわら、地理学の研究にもはげみました。

1901年に家族とともに上京すると、地理学者の志賀重昂の門をたたき、その指導のもとに1903年、人間の生活と地理との関係を論じた『人生地理学』を発刊し、新渡戸稲造や柳田国男らにも高く評価されました。その後30年近くにわたり、東京のさまざまな小学校長を歴任しながら、1912年には『郷土科研究』を刊行して「郷土科」を提唱するいっぽう、1928年には「法華経に基づく人間変革を基盤に社会を変革するという『立正安国』の思想」に強く共鳴して、日蓮正宗に入信しました。

2年後の1930年には、弟子の戸田城聖とともに「創価教育学会」(のちの創価学会)を結成して初代会長となります。ところが戦争がはげしくなり、政府の思想統制が強まり、1943年には軍部の圧力が強まって不敬罪・治安維持法違反で逮捕され、1年有余の独房生活の末、巣鴨刑務所で病死したのでした。

終戦後に牧口のあとをついだ戸田が再建して第2代会長となって組織の基礎を築きあげ、熱心な布教活動により「創価学会」として今日の隆盛につなげています。


「11月18日にあった主なできごと」

1901年 八幡製鉄所操業…福岡県北九州市に建設された八幡製鉄所が操業を開始しました。近代化を推進していた明治政府が、殖産振興・富国強兵をもとにしたわが国初の本格的な製鉄所で、日露戦争、第1次世界大戦での鉄鋼需要の増加で、急速に発展しました。

1903年 パナマ運河条約…太平洋とカリブ海を結ぶパナマ運河は、スエズ運河をひらいたレセップスが開発に着手しましたが、難工事のため断念。アメリカ合衆国はパナマとの間でパナマ運河条約を結び、10年以上もかけて建設を進めて、1914年に開通させました。そのため長いあいだアメリカによる支配が続いてきましたが、1999年末、パナマに完全返還され、現在はパナマ運河庁が管理しています。

1904年 古賀政男誕生…『丘を越えて』『影を慕いて』『青い背広』など、日本人の心にふれるメロディで、今も口ずさまれているたくさんの歌謡曲を作った作曲家の古賀政男が生まれました。
投稿日:2014年11月18日(火) 05:36

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)