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「サヨナラおじさん」 淀川長治

今日11月11日は、「日曜洋画劇場」の解説を32年にもわたって務め、そのユニークな語り口が親しまれた映画解説者・映画評論家の淀川長治(よどがわ ながはる)が、1998年に亡くなった日です。

1909年、兵庫県神戸市の芸者置屋の子として生まれた淀川長治は、映画館の株主だった親の影響で子どものころから映画に親しみました。面白い作品は他人に紹介せずにいられない性格で、旧第三神戸中学時代には、自ら企画して毎月の全校生徒による映画鑑賞を実現させるほどでした。

中学卒業後、1927年に日大美学科予科に通学するため上京すると、以前から投稿をしていた雑誌「映画世界」が編集部員を募集しているのを知り、そのまま編集部へ出向いたところ採用され、編集者として活動を開始しました。そのため、1度も大学に出席することなく中退しましたが、1929年に神戸の実家へ戻され、姉の経営する輸入美術品店で勤務しました。

1933年、知人の紹介で米国の映画会社ユナイテッドの大阪支社宣伝部に入社しました。1936年2月、喜劇王チャップリンが、新婚旅行で新妻と極秘に神戸港へ船で立ち寄るという二ュースを知るや、ハワイへ飛んでホノルルからクーリッジ号で入港したチャップリンと突撃取材に成功して親しくなり、やがて淀川は、チャップリン評論の第一人者といわれるようになりました。

日米開戦後の1942年、東宝映画の宣伝部に就職し、のちに世界的映画監督となる黒沢明と出会い、生涯の親友となります。終戦後は、アメリカ映画の配給会社セントラル映画社に勤務した後、1947年に映画世界社に入社し、雑誌「スクリーン」の編集長として20年近く務めました。

そのかたわら、1960年から63年まで、NETテレビ(現テレビ朝日)で放送された海外ドラマ『ララミー牧場』の解説でいちやく脚光を浴びると、1966年から始まった同局の新番組で劇場映画を毎週放送するという『日曜洋画劇場』の解説者として、番組開始から死の前日までの32年間、出演し続けました。番組冒頭の「ハイ、またお会いしましたね」から「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」で終了する一連の「淀川節」は大ブレイク。ていねいでわかりやすい解説と、映画の素晴らしさを嬉しそうに語る姿は人々に愛され、「サヨナラおじさん」の愛称でお茶の間の人気者となりました。

1998年9月6日、親友の黒沢の通夜に参列した淀川は、すでに自らの死も近いことを悟っていたのか、棺の中の黒沢に「ぼくもすぐに行くからね」と語りかけたといわれています。それからわずか2か月後に亡くなりました。


「11月11日にあった主なできごと」

1620年 メイフラワーの誓い…2か月前にイギリスのプリマス港を出航したメイフラワー号は、この日北アメリカのケープコッドに到着。ピルグリム・ファーザーズと呼ばれる移民たちは船上で、自治の精神に基づき自由で平等な理想的な社会を建設することをめざす誓いをかわしました。こうして、1620年から1691年までの北アメリカにおけるイギリス植民地のさきがけとなるとともに、その精神はアメリカ民主主義の基となりました。

1840年 渋沢栄一誕生…幕末には幕臣、明治から大正初期にかけて大蔵官僚、実業家として活躍した渋沢栄一が生まれました。

1881年 ドストエフスキー死去…『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』などを著し、トルストイやチェーホフとともに19世紀後半のロシア文学を代表する文豪ドストエフスキーが亡くなりました。

1918年 第1次世界大戦終結…前年、アメリカ合衆国の参戦により決定的に不利となったドイツは、この日休戦条約に調印。第1次世界大戦が終結しました。

1952年 ヘディン死去…87年の生涯を中央アジア探検にそそいだ、スウェーデンの探検家ヘディンが亡くなりました。
投稿日:2014年11月11日(火) 05:25

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)