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「蒋介石」 と対抗した汪兆銘

今日11月10日は、孫文とともに「中華民国」を成立させ、孫文亡き後は蒋介石と「国民党」の主導権争いをした中国の政治家で、知日派として知られた汪兆銘(おう ちょうめい)が、1944年に亡くなった日です。

1883年、中国広東省仏山市に生まれた汪兆銘(字=精衛)は、1904年に清朝の官費生として日本の法政大学留学中に、孫文の革命思想に触れ、翌1905年に孫文の来日を機に東京に中国同盟会が結成されるとこれに参加、機関紙「民報」の編集スタッフを務めました。

1906年、法政大を卒業して官費留学の期限は切れたものの、そのまま法政大専門部へ進み、「民報」に数多くの論文を発表して孫文の信頼を得ました。しかし、清朝の意を受けた日本政府の取締りにより「民報」は発行停止に追い込まれ、孫文は根拠地をフランス領インドシナのハノイ、ついでイギリス領マレーのシンガポールに移すと、汪も行動を共にしました。

1910年、汪は革命運動を鼓舞するため、清朝摂政王の暗殺を計画するものの失敗に終わり、死刑の宣告を受けました。しかし、1911年から12年にかけておこった「辛亥革命」の成功により、清朝は崩壊して「中華民国」が成立したことで釈放されました。孫文が臨時大総統に選ばれましたが、革命派内部の対立のため強力な政権になれず、大総統を袁世凱に譲るものの、皇帝への野心を持つ袁世凱と孫文らの対立が表面化して敗れ(第二革命)、1913年に孫文は日本へ、汪はフランスへ亡命することになりました。

1916年袁世凱政府が崩壊して、孫文らが広東に国民政府を誕生させると、1917年に汪はフランスから帰国、孫文の下で広東政府の最高顧問を務めました。1919年5月4日に北京の大学生が抗日反帝国主義・反軍閥の「5.4運動」をおこし、これが全国的な民衆運動に発展すると、これを機に孫文は「中国国民党」を結成しました。いっぽう陳独秀らは1921年に「中国共産党」を結成します。1924年に孫文は革命勢力を結集させるため、「連ソ・容共・扶助工農」路線を打ち出し、共産党と協力する「第1次国共合作」を実現。1925年に孫文が亡くなると、蒋介石や汪が中心となって広州に「国民政府」を樹立させました。

ところが蒋介石と意見が対立し、汪は自発的に職責を辞任してフランスに亡命したり、1927年に蒋介石の帰国要請に応じて再度帰国し、武漢政府の中央常務委員、組織部長に返り咲くなど、その後も対立と妥協をくりかえしました。

やがて1932年、蒋介石と南京・広東合体政府を樹立させ、汪はこの政府で、行政院長となって政務をあずかり、蒋は軍事面に当たる体制をこしらえました。関東事変後の日中戦争では、汪は満州国の存在を黙認し、「一面抵抗、一面交渉」という考えを主張して抗戦派と対立。1940年に日本軍が占領した南京に、日本軍部の汪かつぎ出しに応じて南京政府を作って主席となるものの、抗戦陣営に裏切者といわれながら、名古屋で客死したのでした。


「11月10日にあった主なできごと」

1619年 デカルトの決意…近代西洋哲学のもとを築き、哲学の父とよばれて歴史に名をのこしたデカルトが、「コギト・エルゴ・スム」(われ思う、ゆえにわれあり)という独自の哲学の基本を決意した日です。

1871年 スタンリーがリビングストンを発見…アメリカの新聞記者スタンリーは、行方不明になっていた探検家リビングストンを追い、アフリカ奥地で236日ぶりに発見しました。

1873年 内務省の設置…明治政府の実質上の中枢である内務省が設置され、大久保利通が初代内務卿に就任。警察、地方行政など対民衆行政のすべてを掌握することになりました。

1928年 昭和天皇即位…京都御所で、昭和天皇の即位式が行なわれました。27歳で即位した天皇は、60年以上の在位期間に、太平洋戦争敗戦、玉音放送、人間宣言など、激動の時代を歩むことになりました。
投稿日:2014年11月10日(月) 05:10

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)