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明治後期の詩壇をリードした薄田泣菫

今日10月9日は、詩集『暮笛集』『白羊宮』など文語定型詩を確立した詩人として、「茶話」などの随筆家として知られる薄田泣菫(すすきだ きゅうきん)が、1945年に亡くなった日です。

1877年、今の岡山県倉敷市に村役場の書記の子として生れた薄田泣菫(本名・淳介)は、旧制第一岡山中学を中退してからは独学し1894年に18歳で上京。塾の教師をしながら上野図書館に日参して内外の古典や西欧近代文学の英訳本を読破し、文学的教養を確実に身につけていきました。

1897年に帰郷すると、杜甫の詩13編を「新著月刊」に投稿したところ、編集担当の島村抱月らに絶賛されて、詩欄の第一席に掲載され、詩壇の注目を集めました。翌年処女詩集『暮笛集』を刊行すると、14行からなる定型詩ソネットが評判となって初版を短期間に売り切り、1901年に刊行した 第2詩集『ゆく春』も発売即日売り切れるほどでした。

1905年の第3詩集『二十五絃』、1906年の第4詩集『白羊宮』を刊行したころは、古語や漢語を巧みに用いたロマン的な作風は、与謝野晶子らに大きな影響を与え、島崎藤村や土井晩翠後の明治後期の詩壇の中心となって、蒲原有明とともに泣菫・有明時代を築きました。

明治の終わりごろから詩作はへりはじめ、大正に入ると随筆家に転じ、1912年には「大阪毎日新聞社」の記者となって、1915年から「茶話」の連載を開始しました。まさに「茶を飲みながら気軽におしゃべりする話」は、古今東西の噂話などを、面白おかしく紹介して評判となりました。総数811編の随筆集は、新聞コラムのはじめであり、その後のお手本ともなっています。

なお、オンライン図書館「青空文庫」では、泣菫の代表的な詩を「泣菫詩抄」で読むことができるほか、「茶話」など40編以上の随筆を読むことができます。


「10月9日にあった主なできごと」

1547年 セルバンテス誕生…ユーモア、風刺、空想に満ちた作品『ドン・キホーテ』を著したスペインの作家セルバンテスが生れました。

1874年 万国郵便連合スタート…さまざまな国の人々が、国際交流や協力ができるように、世界の加盟国間に安い料金で郵便が送れる「万国郵便連合」(UPU)ができました。日本は1877年2月にUPUに加盟しました。

1946年 男女共学の実施…文部省(現・文部科学省)は、「国民学校令」の一部を改め、男女共学の実施を指示しました。それまでは別々にされていた男子と女子の授業は、同じ教室で受けるようになりました。
投稿日:2014年10月09日(木) 05:50

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)