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「木彫」 を近代化した高村光雲

今日10月10日は、上野公園の「西郷隆盛像」の作者として名高い彫刻家で、木彫技術の伝統を近代につなげる役割を果たした高村光雲(たかむら こううん)が、1934年に亡くなった日です。

1852年、今の東京台東区に町人の子として生まれた光雲(本名・光蔵)は、1863年12歳から仏像彫刻家(仏師)の高村東雲の徒弟となり、職人としての修行を積むうち認められ、1874年に東雲の姉エツの養子となって高村姓を名乗り独立しました。

ところが明治維新後に、廃仏毀釈運動の影響から神仏分離令によって寺が廃止されたり、仏像が燃やされていきます。そのため仏師としての仕事はなく、輸出用の象牙彫刻の流行で木彫も衰え、光雲は玩具や酉の市の熊手を作るなど苦しい生活を強いられましたが、頑固なまでに木彫の伝統を守り続けました。いっぽう、西洋の彫刻にも関心を寄せ、石膏の研究をしたり、蝋型鋳物の仕事にたずさわるなど、西洋の様式を採り入れた写生風の一派を開きました。

初めて発表した作品は、1877年に師の名前で第1回内国勧業博覧会に出品した『白衣観音像』で、同会の最高賞を受けて美術界に認められ、1889年の龍池会(のちの日本美術協会)に出品した『矮鶏(ちゃぼ)』は、明治天皇の買上げに選ばれるほどでした。同年は東京美術学校(のちの東京芸術大)開校の年に当たり、岡倉天心やフェノロサらの強い要望により、木彫科の教授となり、以後30年にもわたり後進を育てました。

光雲のもっとも有名な作品は、1892年に製作された上野公園の「西郷隆盛像」でしょう。下絵を何枚も描き、「あの偉大な西郷さんに似ているか」と、西郷の友人だった人に聞いて歩いたり、わざわざ九州の桜島をたずねて犬を連れ帰ってモデルにして製作しました。1893年に、シカゴ万博に出品した『老猿』(東京国立博物館蔵)も有名で、1本の栃の巨木を彫り上げ、その木目を毛並に生かした力作は話題を独占したといわれています。その他、皇居前広場にある『楠公(楠正成)像』のほか、たくさんの仏像の小品を残しました。

光雲の弟子には山崎朝雲、山本瑞雲、米原雲海ら近代日本彫刻を代表する彫刻家がおり、平櫛田中らもその門に学びました。なお、詩人で彫刻家の高村光太郎や、彫金家の高村豊周は光雲の子です。


「10月10日にあった主なできごと」

1911年 辛亥革命…中国の清に対し、湖北省の武昌で兵士による反乱(辛亥革命)がおこりました。これがきっとかけとなり、翌年1月に古代から続いた君主制が廃止され、孫文を臨時大総統とする共和制国家「中華民国」が南京に成立しました。

1964年 東京オリンピック開催…第18回オリンピックが、東京・国立競技場で開会式が行われ、この日から15日間、94の国と地域から選ばれた5558人の選手が競いあいました。日本は、重量挙げ、体操男子、レスリング、柔道、女子バレーなどで過去最高の金16、銀5、銅6のメダルを獲得、国民の多くはテレビに釘付けとなりました。
投稿日:2014年10月10日(金) 05:18

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)