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「怒れる若者の代弁者」 ジミー

今日9月30日は、映画『エデンの東』『理由なき反抗』『ジャイアンツ』の3作品の主役を演じ、ジミーの愛称で親しまれたジェームズ・ディーンが、1955年になぞに満ちた自動車事故により、24歳の若さで亡くなった日です。

1931年、インディアナ州マリオンに退役軍人病院の歯科技工士の子として生まれたジェームズ・ディーンは、幼いころから身体が弱く、そのため母親から過保護に育てられたために神経質な性格になったようです。その母が9歳の時に亡くなり、農場を営む伯母夫婦に預けられたことが、心に暗い影を落とすことになりました。

高校時代に演劇に興味をもち、地元のスピーチコンテストに優勝したのを機に役者の道を志し、カリフォルニア大学ロサンゼルス校の演劇科で本格的に演技を学びはじめました。舞台やコマーシャルなどに出演しますが、さらに俳優としてのキャリアを追い求めて大学を中退し、ニューヨークで1950年代のテレビ番組のいくつかに出演するものの、仕事のない日々が続きました。

しかし、1954年にブロードウェイの舞台『背徳者』で、アラブの青年役を演じて絶賛を浴びたことで、ジェームズに決定的なチャンスが訪れました。エリア・カザン監督は、スタインベックの小説『エデンの東』を映画化しようと主役を探していたところ、ジェームズを一目見て主役に決めたのです。こうして1955年の新作映画『エデンの東』の主役に抜擢されたジェームズは、父親の愛に飢え、反抗的で孤独感に打ちのめされた息子キャルを熱演すると、若者たちの熱狂的な支持を得て、一大センセーションを巻き起こし、いちやく人気スターに昇りつめました。

続く、同年に映画化されたニコラス・レイ監督の『理由なき反抗』でも、キャル役の延長ともいえる悩み多きティーン・エイジャーのジムを、個性的な演技力で見事に演じきりました。さらに翌1556年に公開される『ジャイアンツ』に出演し、ひねくれ者の牧童ジェット役を演じ切って、演技派俳優としての才能の片鱗を見せながらも、映画完成直前に原因不明の自動車事故にあい、24年の短い生涯を終えてしまいました。

こうしてジェームズは、彗星のようにあらわれ、彗星のように消えてしまいましたが、死後、青春の孤独・絶望・反逆のシンボルとして偶像化されたばかりか、1970年代半ばからは、再びジェームズ・ディーンに関する著作や映画が公開されました。また、屈折した心情、挫折感、死への願望といったテーマは、世界じゅうの青春映画に受け継がれています。


「9月30日にあった主なできごと」

1472年 王陽明誕生…中国が明とよばれていたころ、儒教の流れをくむ「朱子学」に対し、日常生活の中での実践を通して人の生きるべき道をもとめる「陽明学」という学問の大きな流れを作った思想家の王陽明が生まれました。

1913年 ディーゼル死去…空気を強く圧縮すると高い温度になります。この原理を応用して、空気を圧縮した筒のなかに液体の燃料を噴射して自然発火させ、爆発力でピストンを動かすエンジンを発明したディーゼルが亡くなりました。

1999年 東海村で臨界事故…茨城県東海村の核燃料施設で臨界事故が発生、至近距離で中性子線を浴びた作業員3名のうち、2名が死亡、1名が重症となったほか、667名の被曝者を出しました。
投稿日:2014年09月30日(火) 05:33

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)