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話題作を連発した山崎豊子

今日9月29日は、『白い巨塔』『華麗なる一族』『不毛地帯』『大地の子』など、社会問題に鋭く切り込んだベストセラー小説を著した作家として知られる山崎豊子(やまざき とよこ)が、2013年に亡くなった日です。

1924年、大阪船場に老舗昆布屋の子として生まれた山崎(本名・杉本)豊子は、旧制相愛女学校をへて、1944年旧制京都女子専門学校(今の京都女子大学)国文学科を卒業後、毎日新聞大阪本社に入社しました。当時学芸副部長だった井上靖のもとで、記者としての訓練を受けました。

勤務のかたわら小説を書きはじめ、1957年に生家の昆布屋をモデルにした親子の物語『暖簾』を刊行して作家デビューを果たすと、翌年お笑い界をリードする吉本興業を創業した吉本せいをモデルに大阪芸能史を描いた『花のれん』により直木賞を受賞し、新聞社を退職して作家生活に入りました。その後、大阪の風俗に密着した『女系家族』『花紋』などを書き、特に道楽に走る足袋問屋の息子の放蕩や成長を描いた『ぼんち』は、市川雷蔵主演により映画化されて話題になりました。

転機となったのは、1963年から雑誌に連載を始めた『白い巨塔』でしょう。大学病院の現実を描きながら医学界の暗部や医療過誤問題に鋭いメスを入れるという社会性で話題を呼び、65年に単行本化され、田宮二郎主演で映画化されて大ヒット。その後も数回にわたってテレビドラマ化されています。

この作品以後も、現実にあった事件や社会問題を題材にした大作を次々に発表していきました。銀行を中心に政財官界の癒着をあばいた経済小説『華麗なる一族』、戦争3部作といわれる  @ シベリア帰還兵の将校が商社マンとして国際商戦で闘うことを通し、戦争の非人間性などを訴える『不毛地帯』 A 日系アメリカ人の悲劇を浮き彫りにした『二つの祖国』 B 中国残留日本人孤児を描いた『大地の子』は、重厚な構成と人間ドラマが人気となりました。さらに、日本を代表する航空会社の腐敗や航空機事故を扱った『沈まぬ太陽』、沖縄返還交渉の密約報道事件を描いた『運命の人』を発表しました。

綿密な調査に基づく豊かな構成、大胆な脚色による大スケールの長編小説のほとんどは、映画やテレビドラマで映像化され話題になったことから、物議をかもしだされ、盗用が指摘されて訴訟に持ち込まれることがありました。しかし、そのどれも和解するか勝訴しています。

持前の好奇心と正義感あふれる取材力、骨太なエンターテイナーの88年の生涯でした。


「9月29日にあった主なできごと」

1801年 本居宣長死去…35年かけて完成させた『古事記』注釈の集大成『古事記伝』44巻など、数多くの古代日本を探る研究書を著した江戸時代中期の国学者・本居宣長が亡くなりました。

1805年 ネルソン死去…トラファルガル沖海戦で、フランス・スペイン連合艦隊をうちくだいたイギリス海軍の提督ネルソンが戦死しました。
投稿日:2014年09月29日(月) 05:00

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)