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『ドリトル先生』 のロフティング

今日9月26日は、イギリス出身でアメリカで活動した児童文学者・さし絵作家のロフティングが、1947年に亡くなった日です。

1886年、イングランド南東部のメイデンヘッドに、時計職人の子として生まれたヒュー・ロフティングは、少年時代から動物や昆虫が好きで、戸棚に小動物を飼って「ミニ動物園」を作ったりしました。8歳で、寄宿学校に入って18歳までここで生活し、1904年に渡米してマサチューセッツ工科大学へ入学しますが、翌年帰国してウエストミンスター大学へ編入後1907年に同校を卒業しました。米国やカナダで鉱山の測量、キューバや西アフリカの鉄道建設に従事後の1912年、アメリカ女性と結婚してニューヨークへ移り住み、イギリス情報省の駐在員のかたわら、新聞や雑誌に短編小説やコラムを投稿しました。

1916年にイギリス陸軍の志願兵となって、第一次世界大戦の西部戦線におもむいた際、自分の帰りを待つニューヨークに残した幼い2人の子どもに、自身が創作した動物の言葉が話せる町医師「ドリトル先生の物語」を毎日のように書き送りました。1917年、戦地で負傷して米国行きの船内で、ロフティングは、作家のセシル・ロバーツと知り合い、ロバーツは毎日ロフティングが、午後6時になると必ず船室へもどることに気づき、理由をたずねたところ、「ドリトル先生」に会いにいくと、『ドリトル先生』シリーズの原型となる物語の原稿とおもしろい挿絵を見せられました。感銘を受けたロバーツは出版社を紹介し、1920年に処女作『ドリトル先生アフリカゆき』が刊行されたのでした。物語は、こんなきっかけから展開します。

町医者のドリトル先生は、動物が大好きで、部屋じゅうにたくさんの動物を飼っています。ある日老婆が、待合室のソファで居眠りしていたハリネズミの上に腰かけてしまうといった騒動が続き、人間の患者は寄りつかなくなって、すっかり貧乏になってしまいました。そんなある日、アフリカ生まれのポリネシア(オウム)が先生に話しかけ、「動物の言葉を覚え、動物のお医者になりなさい」とアドバイスします。こうして動物言葉をマスターした先生の評判はたちまち国内外に広まり、急に忙しくなります。ある冬の晩、アフリカからツバメがやってきて、アフリカにいるサルたちがおおぜい病気にかかって苦しんでいるので、先生に来てほしいという使いでした。ドリトル先生は、すぐにダブダブ(アヒル)、ジップ(イヌ)、ガブガブ(小ブタ)たちをつれて出発。これが、抱腹絶倒・奇想天外な冒険のはじまりでした……。

コネチカット州へ転居したロフティングは児童文学作家として本格的に活動を開始し、1923年にシリーズ第2作『ドリトル先生航海記』でニューベリー賞を受賞すると、「サーカス」「キャラバン」「動物園」「庭園」など、つぎつぎと刊行し、高い人気を維持し続けました。しかし、マンネリを感じたロフティングは、1929年刊の第8巻『ドリトル先生月へゆく』でドリトル先生を月世界へ置き去りにしたまま完結しようとしました。ところが、多くの読者は納得せず、シリーズの再開を求める要望が殺到したために、1933年刊の第9巻『ドリトル先生月から帰る』でシリーズを再開し、「秘密の湖」「緑のカナリア」「楽しい家」まで、全12巻を残したのでした。


「9月26日にあった主なできごと」

1904年 小泉八雲死去…「耳なし芳一」「雪女」他を収録した『怪談』などを著し、日本の文化や日本の美しさを世界に紹介した小泉八雲(ラフカディオ・ハーン) が亡くなりました。

1943年 木村栄死去…日本の天文観察技術の高さを世界に知らせた天文学者の木村栄が亡くなりました。
投稿日:2014年09月26日(金) 05:50

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)