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「世界を魅了した」 マリア・カラス

今日9月16日は、ギリシャ系アメリカ人のソプラノ歌手で、「20世紀最大のオペラ歌手」といわれたマリア・カラスが、1977年に亡くなった日です。

1923年、ギリシャ系移民の子としてニューヨークで生まれたマリア・カラスは、1936年に母や姉とともにギリシャに移り住み、アテネ音楽院でスペイン人のソプラノ歌手エルビーラ・デ・イダルゴに師事して本格的に声楽を学びました。1941年アテネ王立歌劇場でプッチーニの『トスカ』でデビューすると、その歌唱力と美貌、素晴しい演技力でたちまちオペラ界のスターとなりました。

1947年にはイタリアのべローナ音楽祭で『ラ・ジョコンダ』の主役を歌って音楽監督をとりこにし、当時の名指揮者セラフィンの指導のもとでマリアの才能は大きく花開きました。そしてオペラの大役を手に入れ、プリマドンナの地位を独占するまでになります。1950年代に入ると、ミラノ・スカラ座やニューヨークのメトロポリタン歌劇場と、世界のひのき舞台に立ち、センセーショナルな成功を収め、戦後最大のオペラ歌手と讃えるられるようになりました。

得意とした演目は、プッチーニの『トスカ』やベルディの『椿姫』ばかりでなく、ベリーニの『ノルマ』、ドニゼッティの『ランメルモールのルチア』、ケルビーニの『メディア』などはマリアによって本格的な復活上演が行われるようになったといわれるほどです。最盛期には、女性の全声域を歌いこなすテクニックに裏打ちされた歌唱、心理描写と演技は、通俗的な存在だったオペラの登場人物に血肉を与えたとまでいわれました。

しかし60年代入ると、不摂生なプライベート生活や、声を酷使したことで急速に衰えはじめ、共演者や指揮者、劇場側とのトラブルをおこすようになりました。また、30歳年上のイタリアの実業家と結婚していながら、ギリシャの大富豪オナシスと恋愛、オナシスとの愛人関係はケネディ大統領未亡人ジャッキーとオナシスの結婚後も続けるなど、スキャンダルも世間の注目を与えましたが、1965年41歳で引退すると、後進の指導するかたわら、オペラの演出にもかかわりました。

1970年には、映画『メディア』が、ギリシャ悲劇の王女をマリアが演じて話題になります。そして、1973年と1974年に来日し、1974年にはワールドツアーの最後の地として国内4ヶ所でピアノ伴奏によるリサイタルを行いましたが、これがマリアの生涯における最後の公式舞台となってしまいました。以後はパリの自宅にひきこもり、53年の生涯を閉じました。


「9月16日にあった主なできごと」

1620年 メイフラワー号出帆…アメリカ建国のきっかけをつくった102人のピュリタン(清教徒)が、イギリスのプリマス港を出港しました。

1793年 渡辺崋山誕生…江戸時代後期の画家・洋学者で、著書『慎機論』で幕政批判をしたとして「蛮社の獄」に倒れた渡辺崋山が生れました。

1865年 小村寿太郎誕生…日英同盟、日韓併合の立役者であり、日露戦争が終結したポーツマス講和会議の全権大使を務めた外交官小村寿太郎が生まれました。

1877年 大森貝塚発掘開始…アメリカの動物学者モースは、縄文時代の貝塚「大森貝塚」を発掘を開始しました。この発掘がきっかけとなって、日本に近代科学としての考古学がスタートしました。
投稿日:2014年09月16日(火) 05:58

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)